凱旋式(読み)がいせんしき[こだいローマ](その他表記)triumphus

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「凱旋式」の意味・わかりやすい解説

凱旋式[古代ローマ]
がいせんしき[こだいローマ]
triumphus

共和政期,外敵を 5000人以上殺し,戦勝して帰還したインペリウム (命令権) をもつ将軍に許され,4頭立ての戦車カピトリヌス丘のユピテル神殿まで行進した。資格制限は次第にゆるめられ,帝政期には皇帝,その家族独占となった。

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世界大百科事典(旧版)内の凱旋式の言及

【凱旋門】より

…古代ローマ共和政時代の戦勝を得た将軍がローマ市内で行う凱旋式の記念として建立した凱旋記念建造物の一形式。一般には独立したアーチ門の形態を有するが,後には三連アーチ門や四面門の形態をとる例も現れた。…

【戦車】より

…しばらくの間エウボイア,ボイオティア,リュディア,キプロスそしてエトルリアで,ガリアでは前3世紀まで,キレナイカとブルターニュでは紀元初めまで,そしてアケメネス朝ペルシア帝国では鎌を付けた形で戦車が使われた。ローマでは戦車は,一時,王の特権的乗物として使われたが,すぐに凱旋式と戦車競技にしか使われなくなっている。クセノフォンによればキュロス王により初めて考案されたとされる鎌を付けた戦車は,前189年にはアンティオコス3世の軍隊で,前86年にはミトリダテス6世の軍隊で,前47年にはその子ファルナケス2世の軍隊で使われた。…

【ユピテル】より

…これはローマ最後の王タルクイニウス・スペルブス(前6世紀後半)のころに落成したカピトリヌス丘上の大神殿に,エトルリアの影響を受けて,彼の妃のユノ,娘のミネルウァ両女神とともに三位一体の形でまつられていたユピテルで,毎年2人ずつ選ばれるコンスル(執政官)は,就任に際してまずこの神殿にもうで,国家に対する前年同様の加護を祈願した。また将軍はここで犠牲を捧げてから遠征に出発し,大勝利をおさめて帰還したときの凱旋式も,この神殿における儀式で幕を閉じるならわしであった。カピトリヌス丘上にはさらに,ローマ初代の王ロムルス(前8世紀後半)が戦利品を捧げて神殿の奉献を誓ったと伝えられるユピテル・フェレトリウスJupiter Feretrius(フェレトリウスは〈戦利品を運ぶ者〉とも〈敵を撃つ者〉とも解される)がローマ最古の神殿にまつられており,パラティヌスの丘にはユピテル・スタトルJupiter Stator(〈支える者〉)の神殿があった。…

※「凱旋式」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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