夫婦・親子を中心とする近親者によって構成され、成員相互の感情的絆(きずな)に基づいて日常生活を共同に営む小集団。一般に人々はその生涯に2種類の家族とかかわる。一つは自分が子どもとして生まれ育った家族、すなわち定位家族family of orientationであり、他の一つは自分が結婚して新しくつくる家族、すなわち生殖家族family of procreationである。家族に類似する日常用語に家(いえ)、世帯、家庭などがある。家は、イエの創設、家系、分家などのことばに示されるように、「系譜」に基づいて理念的に考えられた抽象的なイメージであり、現実の具体的な集団としての家族とは異なる。次に世帯は、住居を単位としてつくられた概念であり、国勢調査などの統計調査で用いられている。世帯員はだいたいにおいて同一家族とみなしてよいが、世帯員のなかには同居人、使用人などの他人が含まれる場合もあるし、一方、就学・就職などのために他出している家族成員は別の世帯に含まれるので、かならずしも現実の家族と一致しない場合がある。次に家庭は、生活の場を表すことばであるが、家族を意味する用語として日常的に用いられている。
[増田光吉・野々山久也]
家族についての学問的な研究は、19世紀のなかばごろになっておもに二つの分野において盛んとなった。一つは家族や婚姻の歴史についてであり、他の一つは現代家族についての実証的な研究である。まず家族や婚姻の歴史であるが、当時ようやく整えられてきた民族誌や文学などによる古代や未開社会の知見に基づいて、たとえば大家族から小家族へ、あるいは原始乱婚に始まる多様な婚姻形式から一夫一婦の単婚へと変化したとする社会進化論(社会ダーウィン主義)的見解が優越していた。ことにその先駆的役割をつとめたのはバッハオーフェンの『母権論』(1861)、メーンの『古代法』(1861)、マクレナンJ. F. MacLennanの『原始婚姻論』(1865)、L・H・モルガンの『古代社会』(1877)などである。モルガンの所説はのちにエンゲルスの唯物論的家族史観の展開に影響を与えた。その後における家族の実証的研究、とりわけ未開社会についての科学的な知見が増えるにつれて、どの社会においても家族が一定の段階を経過して進化するとみる社会進化論的見解が批判されることになった。
ところで、同じ19世紀のなかばごろ、現代家族に関する実証的研究が始められた。たとえばフランスのル・プレーによる労働者家族の家計調査(『ヨーロッパの労働者』1855)がそれである。この研究関心や研究態度はアメリカの社会学者によって受け止められ、1920年以降、シカゴ学派とよばれる人々の、家族解体や黒人家族の研究、さらに1930年代には結婚の予測に関する研究が現れた。家族について多彩な研究が展開されるようになったのは第二次世界大戦以後である。アメリカに多くの家族社会学者が現れ、優れた研究を通じて日本およびヨーロッパの学界に大きな影響を与えた。
日本では戦前の家族研究の重点が家族構成と家族制度の研究に置かれたのに対して、戦後に目だってきた動向は、
(1)家族の動態的研究が盛んになったこと
(2)問題家族の研究が、とくに都市家族を対象として行われ始めたこと
(3)勢力構造、役割構造など家族の内部構造の研究が盛んになったこと
(4)性別分業など夫婦関係に関するジェンダー論の研究が盛んになったこと
などである。このような戦後の研究の先駆となった戦前の業績のなかに戸田貞三(とだていぞう)の『家族構成』(1937)がある。今日では国際交流の発展や文化人類学の知見の増加に対応して国際的な比較研究も盛んになってきた。加えて、ジェンダー論的視点から家族の内部構造への批判的洞察が深まるとともに、21世紀に入って、新しく家族ライフスタイルという視点からの分析も進展してきている。
[増田光吉・野々山久也]
家族は基本的には夫婦と未婚の子どもとがその構成の中核となっている。そのような核だけからなる家族を「核家族」といい、それ以外の直系もしくは傍系の血縁者を含む家族を「拡大家族」という。これらはアメリカの人類学者マードックの用語nuclear familyとextended familyの訳語である。なお家族形態を世帯の構成人員によって表す方法は古くから一般に行われ、たとえば大家族から小家族へというような形態上の変動の法則が唱えられたこともあったが、今日ではかならずしも一般的な法則とは認められていない。
日本の家族の場合、明治以前の1世帯当りの平均人員は4~5人が普通で、明治期になってむしろやや増大している傾向がみられる。しかし今日までの動向を全体として眺めるとき、1世帯当りの平均人員は明らかに減少してきた。1920年(大正9)の第1回国勢調査以来、1955年(昭和30)までは1世帯平均ほぼ5人の規模であったが、出生率の低下と核家族化の進展に伴い、1960年以降は急激に縮小の傾向を示している。ところで国勢調査などの統計調査によって核家族数や核家族率を算出する場合、どのような世帯類型を核家族として算入するかなどによって数値が大きく変わってくる。単独世帯を加えて計算することもあるが、他方において「夫婦2人世帯」「夫婦と未婚の子からなる世帯」「父子または母子世帯」の合計とみる考え方もある。しかし高齢単独世帯、夫婦2人世帯、父子または母子世帯などは本来、核家族とは異質なものであることから、核家族化の指標に加えず、むしろ核家族化よりも家族形態の多様化としてとらえる見方が重要になってきている。核家族化という家族の画一化の動向に対して多様化を重視する視点は、理想の家族形態の存在を想定することなく、さまざまな家族のありようを客観的に肯定的にとらえる視点を提供する。
[増田光吉・野々山久也]
小集団としての家族(家族構造)は、外部から目につきやすい部分(外部構造)と、どちらかといえば見えにくい部分(内部構造)に分けて考えることができる。外部構造とは、たとえば4人家族(量的構造)、祖父母の同居する直系家族(質的構造)などをさす。これに対して、たとえば日々の家族の暮らしのなかで、だれがリーダーシップをとり(勢力構造)、だれがどの役割を分担し(役割構造)、家族成員相互がどのような感情を抱いているか(情緒構造)、さらにまた、だれとだれの間にどのようなコミュニケーションが交わされているか(コミュニケーション構造)などが内部構造の例としてあげられよう。これらは家族集団の内側に形成されている集団維持のための仕組みであり、この仕組みに支えられて、生活体としての家族は成員の欲求を充足させながら自らをも維持してゆく。要するに家族の内部構造の分析は、現実の家族生活をその内部にある勢力関係、役割関係、情緒関係、コミュニケーション関係などの視点に分けて考えるのであるが、実際には、これらの諸関係は複雑に入り組んでいて切り離せないのが普通である。たとえば勢力関係において優位を占める家族成員は、他の家族成員と比較して相対的に恵まれた役割を割り当てられる可能性が多く、さらに、集団内において発言の頻度が高いなどの特徴が指摘され、情緒的にも安定しやすいことが推察される。
ところで、まず勢力構造についてみると、勢力とは「集団の方針の決定にあたって成員のそれぞれが分担している貢献、すなわち現実の力」であり、権威とは「家族成員のだれかがある勢力をもつことを正当なこととして自他ともに認め合っている関係、すなわち期待されている力」をさす。「勢力」がどちらかといえば個人の力量に依拠しているのに対して、「権威」は社会規範に依存しているといえる。かつての「家」制度の下に認められた、強大な夫(父)の権威は、本人の力量のいかんにかかわらず、家長という規範的な地位に支えられていた。さらに夫婦の勢力関係についてはいくつかの類型が設定されており、どの国にどの類型が多いかという角度から国際比較調査も行われてきた。夫優位型、妻優位型、夫婦協力型、夫婦自律型の4類型がその一例である。この類型によれば、西欧の家族には夫婦協力型が多く、日本では夫婦自律型が多いことで知られてきたが、現代では自律型から徐々に協力型へと変化しつつあることがわかっている。
次に役割構造についてであるが、一般に、ある小集団がその成員にとって望ましい形で維持されていくためには、二つの要件、すなわち、集団それ自体が外部社会のなかで存在意義をもち、かつ外部社会にうまく適応していくこと、および、集団内部において成員のそれぞれに満足を与え、集団全体としての結束を保っていくことが重要である。この目的の実現のためには、それぞれの役割を分担する2人のリーダーを必要とする。パーソンズとベールズR. F. Bales(1916―2004)は、現代アメリカの都市家族、すなわち夫婦家族が小集団と共通する性格を備えていることに着目し、二つの役割をそれぞれ手段的リーダー、表出的リーダーと名づけ、それらが夫(父)と妻(母)に対応する役割と考えた(『家族――社会化および相互行為過程』1956)。一般に役割構造の分析においては、相手にどのような役割行動を期待しているか(役割期待)、現実にどの程度、期待された行動が実現されているか(役割実現)、自分の主観的な判断として、どの程度に相手の期待に沿っていると自認しているか(役割自認)の三つのレベルに分けて考えるのが普通である。家族の成員は、それぞれ相互に相手に対してなんらかの行動の実現を期待しており、それらが期待どおりに実現すれば満足し、実現しなければ期待外れの不満を覚える。これまでの研究によれば、たとえば離婚を決意した夫婦は一般の夫婦に比べて相手に対する期待外れの度合いがきわめて大きい。
ところで、夫婦の役割関係は家事分担にも表れている。日本では従来、「男は外回り女は内回り」という性別役割の観念に支配されていたが、今日ではジェンダー論的視点から大幅に見直されるようになり、対等な夫婦が家族内での相互作用過程を通して、それぞれが期待する役割期待を調整しながら、多様な家族ライフスタイルを展開させるようになってきている。
[増田光吉・野々山久也]
家族によるその集団内部の成員や外部の社会に対する働きを家族機能とよぶ。家族機能については欧米でも早くから着目され、日本でもさまざまな見解が示されてきた。よく知られているのはオグバーン、バージェスとロック、マードック、パーソンズなどの所説である。マードックは性的、経済的、生殖的、教育的の4機能を唱えたが、オグバーンは家族機能を主機能と副機能に分類し、主機能には性的および扶養機能を配分し、副機能には経済、教育、宗教、娯楽、保護、地位付与の諸機能を割り当てた。主機能とはどの社会の家族にも共通する機能であり、副機能とは社会によって異なる可能性をもつ機能をいう。さらにパーソンズは核家族の基本機能として子どもの基本的な社会化と大人の家族成員のパーソナリティーの安定化をあげている。
日本では戸田貞三が家族機能について体系的な見解を述べた最初の人である。戸田は家族の機能として内的安定作用、家族財産の保護、経済生活の保障、対外的な連帯共同の四つをあげた。のちに戸田はこの所説を修正して内的安定作用と扶養および保護作用の二つの機能に限った。そのほか姫岡勤(ひめおかつとむ)(1907―1970)は、本来的機能と派生的・二次的機能に分け、前者に性的統制、増殖、子どもの扶養、社会化の諸機能が含まれるとし、また後者には経済的生産、保護、教育、宗教、娯楽、社会的地位付与の諸機能が割り当てられた。さらに大橋薫(かおる)(1922― )は、これまでの知見を総合して、家族機能を固有機能、基礎機能、副次機能の三つに大別し、これらをそれぞれ対内的機能(個人的機能)と対外的機能(社会的機能)の二つに分けて、その組合せのなかにいくつかの機能を措定した。固有機能は、対内的機能として性・愛情の機能と生殖・養育の機能を含んでいるが、対外的機能としてはこれらにそれぞれ性的統制と種族保存の機能が対応するとみている。さらに基礎機能は、対内的機能としては生産と消費の機能であるが、対外的機能としてはそれぞれ労働力提供と生活保障が対応する。副次機能は、対内的機能としては、教育、保護、休息、娯楽、宗教などが含まれる。また対外的機能としては、教育には文化伝達の機能が、その他の機能には社会の安定化の機能が対応するとみている。
ところで、家族解体が論議される場合、かならず問題となるのは家族機能の減少論および機能遂行の困難論である。昔の家族は数多くの機能を果たしていたが、近代化・都市化に伴って、家族の機能の多くが家族外の機能集団に委譲され、家族機能は大幅に減少したとみるのが前者である。たとえば家族機能の一つである教育は、今日では家族外の機関である学校に大きく依存している。一方、今日の家族の典型である核家族は、大人の成員の数が少ないために、昔の家族に比べて機能遂行に限界があり、容易に機能障害に陥る弱点をもつというのが後者である。
以上が家族機能減少論、および家族機能障害論の大要であるが、減少論に対しては、むしろ反対に、今日の家族は昔とは比べものにならないほど多くの機能をもつとする見方もある。たとえば教育機能は学校に委譲されたとはいえ、進学の準備、学校の選択、進路の決定などは大きく家族の手にゆだねられている。さらに平均寿命の伸長により、多くの家族が高齢者介護の機能を遂行するようになってきている。これらは昔の家族にはなかった機能とはいえないが、核家族時代の今日では大多数の家族が抱える機能になってきている。その意味では増加したともいえる。つまり、今日では生活の全体が複雑多岐となり、家族はその機能の多くを外部の機能集団に委譲する反面、新しい機能の遂行を要請されているとみるのである。その分、家族機能障害論においては、小さな核家族が多くの重要な機能を分担することになり、また老後の一人暮らしも多く、今日の家族を取り巻く状況は、ますます深刻になりつつあるともいえる。
[増田光吉・野々山久也]
一つの家族についてその形成から消滅までを発達の視点からとらえるとき、多くの家族に共通するいくつかの発達段階、すなわちライフ・ステージを指摘することができる。発達段階の設定はこれまでに多くの研究者によってなされてきているが、初期の例としてはソローキンの4段階区分、すなわち、新婚の時期、子どもを育てる時期、成人した子と暮らす時期、子どもが婚出したあとの老夫婦の時期という段階区分がある。以上は一つの家族についてその発達段階を措定したものであるが、家族の生活史を世代的につないでみると、親の時代の家族の歩み、子の時代の家族の歩みというぐあいに、ほぼ同じ動きを繰り返すことがわかる。これを家族周期(家族のライフ・サイクル)とよぶ。
先に述べた発達段階の区分は、今日ではさらに細分化されてきたが、その代表的なものにヒルReuben L. Hill(1912―1985)の9段階説がある。それらは、子どものない新婚期、第1子が3歳までの時期、第1子が3歳から6歳までの前学齢期、第1子が6歳から12歳までの学童期、第1子が13歳から19歳までの時期、第1子が20歳から家を出ていくまでの時期、末子が家を出ていくまでの時期、夫が退職するまでの時期、夫の退職後から死亡までの時期の9段階である。
一つの段階から次の段階へ移るということは、新しい家族関係への移行、新しい家族目標の遂行を意味しており、家族成員の役割構造の変化を必要とする。第1子の誕生とともに夫と妻はそれぞれ父と母という役割を新たに取得する。それぞれの段階にはその段階における遂行を期待されている発達課題がある。発達課題とは特定の段階に特徴的な遂行の課題であり、この課題遂行の成功は、その段階の家族生活を豊かにするとともに、次の段階への移行を容易にする。新しい段階への移行は、したがってかならずしも容易とはいえず、危機的移行ともよばれている。
家族周期による特定の家族の分析は、家族の生活史を明らかにするだけでなく、他の要件との関連を考察するのに役だつ。たとえば住居であるが、家族の発達段階に呼応して望ましい部屋数や間取りも変わる。家計費についても同様である。次に家族の世代的変化を家族周期から眺めると、たとえば直系家族も、ある時期には核家族の類型を示すことが知られている。以上のように家族周期は家族研究の有力な手段であるが、すべての家族が同じ段階を経過するとは限らないこと、離婚・再婚の家族への適用の問題などの困難が残されている。これらを背景として1980年代になってライフコースという概念が生まれてきた。家族周期が家族の集団性に力点を置き、その変化に注目するのに比べて、ライフコースの概念は個人の人生に立脚し、家族成員としての諸個人のそれぞれの人生が、相互依存的に織り成す家族生活の歩みを、具体的な歴史との対応のなかでとらえようとする研究法である。ライフコース分析では、段階の概念とは異なって、個人がその人生のなかで経験する家族生活とかかわりの深いイベント、たとえば結婚、就職、出産などを人生のくぎりとして重視する。ライフコース分析は、離婚の増加、働く妻の増加などによる家族生活、あるいは家族生活周期の変化に対応するとともに、1980年代後半に盛んになってきた家族史にとって有益な研究法である。
[増田光吉・野々山久也]
第二次世界大戦後の日本の家族は、核家族、直系家族、単独世帯がその主要な部分となっている。第二次世界大戦前では長男がその妻子とともに親と同居して扶養・介護にあたるという直系家族が、家の観念や「家」制度に支えられて理想の姿と思われていたが、第二次世界大戦後になって家の観念が希薄化し、「家」制度を支えた法的規制がなくなるとともに、夫婦本位の核家族の観念が優勢となり、法の統制もまた核家族をモデルとするものに変わった。その後、都市化・産業化の進展とともに核家族は増加し、代表的な類型となっていった。しかしその後、高齢化が進むなかで3世代同居の直系家族も一定の割合を占めていたので、核家族との競合的並存という点に特色が認められた。とはいえ、高度経済成長以降、農村部においても世帯分離は活発化し、3世代同居の直系家族の割合が急速に減少し始めたことも事実である。
なお今日の直系家族は、もはや以前のように家イデオロギーに支えられたものでなく、その意味において任意的直系家族あるいは合意的3世代家族とよぶこともできる。老親との同居の慣行をもたない欧米の家族では、日本のような、それなりに相当な割合の直系家族は存在しない。核家族率の増加に伴い、世帯人員は減少し、5人、6人といった多人数世帯はかなり減少し、2人の世帯が増加しつつある。老親との別居あるいは分居、少産による子ども数の減少、就学・就職などによる他出家族成員の増加、離婚などによる単身世帯の増加などが世帯規模の縮小に寄与しているとみられる。
配偶者の選択の面で日本の現代家族にみられる特徴は、従来高い割合を占めていた見合い結婚が1965年(昭和40)ごろから恋愛結婚を下回ることになった事実である。見合い結婚は、若い男女の自由な交際になんらかの形で制限を加える社会にみられる配偶者選択の一形態であり、日本の場合では「家」制度と儒教倫理の制約のもとに行われてきた慣行である。それがしだいに廃れて欧米なみの、デートを伴う恋愛結婚に移行してきている。と同時に、今日では容易に恋愛結婚に結び付かない場合には、新たに結婚相談サービス機関のサポートを活用する見合い結婚も登場してきている。
配偶者選択の変化に対応するのが夫婦本位の核家族の増加である。しかし欧米の家族のように完全な形の夫婦本位というわけでなく、根本的には伝統的な日本家族の特質をあわせもっているのが注目される。たとえば日本の家族の中核をなすのは夫婦よりもむしろ親子である。夫婦相互の呼び名も子ども中心につくりあげられており、子どもの教育をはじめ、家族のなかに占める子どもの意義は大きい。また、変容してきたとはいえ、伝統的な性別役割分業はいまだ支配的であり、「男は外回り女は内回り」という観念はなかなか根強い。その結果、家事・育児は妻の責任とみる傾向が強く、この点で欧米の家族と大きく異なっている。しかしキャリアを追求する女性たちも増えてきており、共働きの家族も徐々に増え、保育サービスの拡充などへの期待は、ますます強くなってきている。
ところで、西欧の家族と比較するとき、日本の家族でとくに注目されるのは老親との同居による3世代家族である。形態のうえでは伝統的な直系家族に類似しているが、今日の3世代家族の多くはもはや「家」制度的・直系家族的なイデオロギーに支配されることなく、世代間に適当な距離を置きながら、それぞれの生活の自立性を保ち、そのうえでの相互扶助と家族としての愛情を追求する生活共同体である。したがって、たとえば嫁と姑(しゅうとめ)との不和に代表されるような往年の同居世帯とは質的に異なっており、その意味で「修正直系家族」あるいは「任意的直系家族」とよばれることもある。
[増田光吉・野々山久也]
白人の中流家庭をモデルとして考えてみると、アメリカの家族は開拓当時より一貫して核家族であったといわれる。日本の現代家族を親子本位とするなら、アメリカの現代家族は夫婦本位であり、夫婦単位の社交、友人の共有、夫の仕事に対する妻の援助などの特色がみられる。家族内における親子間の世代的区別は大きく、同じ家族成員でも大人と子どもの世界は明確に隔てられているので、日本のように家族ぐるみでという機会はそれほど多くない。夫婦本位のアメリカの家族では、子どもはいずれ巣立っていく存在であり、実際、20歳前後になれば親元を離れて自立していく子どもも少なくない。アメリカの家族が気軽に子どもの養子を受け入れるのは、このような親子関係に基づくところが大きい。
家事・育児は夫婦に共通する役割と考えられており、子どものしつけについては、独立心を養い、自立に必要な技能を身につけさせることを目標としている。日本のように情緒的に依存させるという方法とは異なって、あらかじめルールを設定し、ルール違反に対しては相応の罰を与えるという方法がとられる。子どもとはいえ年齢相応の家事分担もあり、自立を目ざす社会化の一つとなっている。配偶者の選択はすべて恋愛に基づくデートを通して行われる。インターネットのような今日的な結婚相手紹介サービスを活用する・しないにかかわらず、日本のような見合いの制度はない。デートは単なる若者の風習というよりは、家族形成にかかわるアメリカ文化の一部である。したがってデートのために帰宅時間が遅くなっても、社会はもとより、親も子どもをそれほど強くとがめるようなことはない。
夫婦の結び付きの基礎は愛情であるが、いわゆる愛情べったりではなく、互いに異なった個性をもつ個人が、それぞれの主張や行動を相手に投げかけあう緊張のなかに夫婦でいることの喜びと意義をみいだしている。この意味で、アメリカの夫婦はよきライバルであり、夫婦生活はそれぞれの個性を発展させる場であるともいえる。子どもがすべて成人して巣立ったあと、老夫婦は子どもと別居して暮らすことになる。日本のように成人した子どもが老親と同居するという慣行はない。しかし、別居といってもできるだけ近くに住む例も多い。さらにクリスマスや感謝祭などには遠方に住む子どもたちも親元へ戻ってくる。一般に老親と成人した子どもの結び付きはきわめて強い。
アメリカ家族に離婚が多くみられることから、アメリカ家族の崩壊を懸念する向きもあるが、再婚も離婚に劣らず多くみられるので、一概に家族崩壊とみることはできない。反対に家族生活に高い価値を置いているので、よりよい結婚を求めるあまり離婚者が多いとみることもできる。しかしスウェーデンなどと並んで世界的に高い離婚率は、やはり家族生活に大きな影響を与えている。父子家庭・母子家庭の増加、連れ子とともに再婚することによる複雑な親子関係、再婚生活のモデルが少ないことによる再婚生活の不安定性などがそれである。
[増田光吉・野々山久也]
伝統的な中国家族の理想型は合同家族である。合同家族とは、成人した子ども(男子)が結婚後もその妻子とともにすべて親の家にとどまって生活する家族類型をいう。かつての日本の直系家族のように長男のみが単独に相続する場合とは異なって、女子を含むすべての子どもが親の財産を均等に相続し、とりわけ男子は結婚後も親の家にとどまって大きな家族をつくることが理想とされた。しかし実際には合同家族においても父親の死後、それぞれの子ども夫婦が核家族単位に分裂するのが普通であった。このような事情から、中国家族の主要な部分はかなり以前から核家族であった。
中国の家族は、家族の上位集団をなす宗族(そうぞく)の一部とみることもできる。宗族は同じ出自集団とみなされる同姓集団であって、同姓の家族は原則として同じ祖先をもち、同じ宗族の一員と考えられている。そして現実には、同じ地域に住む同姓の家族が宗族としての結合意識をもち、祖先祭祀(さいし)や相互扶助などを行っている。宗族の範囲を絶えず確認する目的で一族のすべての名前や略歴を記載した族譜がある。族譜に記載された範囲が同一宗族の成員であり、成員としての権利・義務を共有する。族譜を管理し、絶えず更新するのは宗族の役割の一つである。
中国の家族の重要な機能の一つは祖先の祭祀であり、宗族所管の祀堂において宗族のレベルでの祭祀をする。代々にわたって祭祀を営んでいくために、どの家も跡取りとしての男子が必要とされる。養子を迎える場合にはかならず血縁者でなければならない。宗族はまた外婚の単位であり、同姓の者同士は結婚することができない。個人は家族の一員であると同時に宗族のメンバーでもあるので、宗族を表す姓を生涯にわたって保持していかなければならない。妻が結婚後も夫方の姓を名のることなく、生涯にわたって自己の出自の姓を保持するのは、家族への所属よりも宗族への所属を重視することの表れである。夫婦の間に生まれた子どもは父系制に従って父親の姓を名のることになる。親孝行に代表される儒教倫理は家族生活を根強く支配しており、伝統的な中国家族では家父長的な色彩が強かった。年老いた親を扶養するのはすべての子どもの責務であり、老後のために子どもをもつことはどの家族にとっても大きな関心事であった。ただし今日の中国では、結婚後妻が夫方の姓を名のることは選択の問題とされ、自由裁量に任されるようになってきている。
[増田光吉・野々山久也]
20世紀の後半になって、旧来の家族の観念を大きく変えるような変化が世界的にみられるようになった。第一はシングルズsinglesとよばれる独身主義者の増加である。独身主義者といっても結婚否定論者ではなく、いわゆる適齢期や制度的な結婚を認めない人々をいう。この延長線上にみられるのが第二の無登録夫婦家族の増加である。スウェーデンでは1970年ごろから結婚登録をしないで同棲(どうせい)する男女が増加し、スウェーデン全体の夫婦に対する比率は約10%を占めるに至ったという。さらにデンマークでも同じ傾向がみられ、1970年代後半にはこのような夫婦の占める比率は25%以上になった。その結果、非嫡出子(嫡出でない子、婚外子)の出産が急増することになった。1975年時点のスウェーデンでは出生児総数の32%、1970年代前半のアメリカ、カナダでは12%、イギリス、フランス、西ドイツではそれぞれ7%前後が非嫡出子であった。その後非嫡出子は増加し続け、2000年代初頭では、スウェーデンをはじめ北欧で60%台、アメリカやイギリスで30%台、フランスで40%台となってきている。この動向はさらに進行してきており、それに沿って第三にあげられるのは一人親家族の増加である。未婚の母に加えて、離婚の増加による父子家庭や母子家庭の増加が一人親家族の増加に影響している。以前には一人親家族が欠損家族などとよばれたこともあったが、今日では多様な家族の存在を認める風潮がしだいに一般的になってきており、一人親家族もそれ自体、一つの家族形態として市民権を獲得し、そのまま「一人親家族」とよび改められてきている。
ところで、このような家族の変化について家族崩壊とみる向きもあるが、今日では家族のあり方は唯一のものでなく、さまざまなケースの存在すること、つまり家族の多様性を認める傾向が強くなってきている。家族は弱体化したのではなくて、反対に官僚制的な組織社会、管理社会のなかで人間的な交流を可能にする唯一の小集団として、人々が家族に求める期待は依然として大きい。伝統的な家族の変化はありえても、家族そのものの崩壊は考えられない。
全体として家族の動向をみるとき、初婚年齢の上昇、それに伴う出生児の減少、核家族の増加とそれに伴う世帯員数の減少、老年人口割合の増加、働く妻の増加などを世界的な傾向として指摘できる。これらの変化と関連して注目されるのはライフ・サイクルの著明な変化である。1920年(大正9)と1980年(昭和55)の2時点の比較による日本人のライフ・サイクルの分析によれば、平均寿命が長くなったことによるライフ・サイクルの変化はきわめて大きい。まず、職業生活から引退したあとの期間や、出産・子育て後の期間が長期化している。たとえば1920年モデルにおいては、男性は退職後1年半ほどで人生を終えるのに対して、1980年モデルでは退職後も10年ほどの期間をもつことになった。また1920年モデルの女性は平均5人の子どもを産み、末子を産み終える年齢がおよそ36歳であるのに対して、1980年モデルでは子どもの数が平均2人と少なくなり、末子を産み終える年齢もおよそ30歳と若返った。女性が子育てに拘束される期間は大幅に短くなり、熟年とよばれる世代が出現することになった。長命時代の到来は、結婚期間の長期化、老夫婦期間の出現、女性の場合、夫と死別したあと、かなりの期間にわたる一人暮らし期間の出現をもたらした。まず結婚期間であるが、1920年モデルの約37年間から、1980年モデルの47年間へとほぼ10年長くなった。1980年モデルでは子どもが早く親元を離れるため、結婚生活の最終部分は老夫婦のみの生活となるが、これも1980年代後半以降目だつ傾向である。女性の場合、夫死亡後の寡婦期間が1920年モデルと比べて約8年と2倍になった。一人暮らしの老人女性の増加は新しい女性問題として注目を浴び、長命に伴うライフ・サイクルの変化は家族に対し新しい問題を投げかけている。
[増田光吉・野々山久也]
高度経済成長期を経て、男女ともに高学歴化した今日の家族において、従来の夫婦のあり方は大きく変容してきている。たとえば、夫(父)は外で働き、妻(母)は内で家事育児という固定的な性別役割分業や男性中心の家庭生活の営み、あるいは結婚後夫方名字への変更による嫁役割の強要などに対して、妻たちの家庭外就労やキャリア追求をはじめ、女性たちの社会参加や男女共同参画型の家庭形成への国家的レベルでの政策転換など、さまざまな現象に現れてきている。かつてのような男性中心の家父長制家族は姿を消し、夫婦対等型家族への志向は大幅に増大してきている。こうした動向に即応できていない中高年夫婦の間では高い離婚率がみいだされ始めている。
いうまでもなく、もっとも高い離婚率を示すのは結婚後まもない若い夫婦であるが、幼い子どもをもつ夫婦の離婚は、再婚率の高くない日本では父子家庭や母子家庭など今日でも多くの問題を抱えることになる。一方、今日では子育てが若い夫婦に、ことに母親ひとりに集中する傾向にあり、いきおい孤立状態のなかでの子育てとなりがちで、児童虐待など子育て期の夫婦にとって大きな問題になりつつある。加えて、今日では、高学歴化に伴って育児期を終えても長い教育期を抱え、孤立しがちな多くの親たちは、心身ともに疲れきった状態にある。多くの兄弟姉妹にもまれて育つという経験のない子どもたちが抱える学校生活あるいは友人関係などの苦悩に、貧しさやひもじさを知らない飽食の時代に育った子どもたちは耐えることができず、容易に非行化や問題児童化しがちであったり、不登校など引きこもりがちになりやすい。
ところで、長寿は長い間人々の願いであったが、今日ではそれは寝たきりや認知症への不安の源泉である。かつての「家」制度のもとでは、資産の蓄積は家の繁栄や子孫の繁栄のためにと意識されてきた。しかし今日では、一代でそれらが消失するにしても、多くの高齢者たちは自らの老後のための保障と考えるようになってきている。今日の長寿化は、「家」制度の崩壊とともにそれだけ老後の不安を高めている。一方、高学歴化した今日の共働きのキャリア追求型の家族にとって寝たきりあるいは認知症の高齢者を介護できる余裕は、まったくない。今日の家族にとって、老親介護は、充実した制度的サービスの存在を前提にしてのみ維持されるが、単独の家族機能として位置づけてしまえば、ほとんどの家族が即座に家族解体してしまうことは明白である。
[野々山久也]
〔1〕現行民法典の家族法
現行民法典の家族法(第4編親族・第5編相続)は、第二次世界大戦後の日本国憲法の施行に伴い、個人の尊重(憲法13条)、法の下の平等(同法14条)、両性の本質的平等(同法24条)等に立脚して、1898年(明治31)に施行された明治民法を、1947年(昭和22)に全面的に改正したものである。すなわち、現行の家族においては、明治民法が採用していた家制度に関する規定を全面的に削除し、あわせて戸籍法も全面的に改正されている。
〔2〕これまでの改正
家族法に関しては、施行以後今日まで、すでに10回の改正が行われている。すなわち、(1)1962年には、代襲相続制度の見直し、相続の限定承認・放棄の見直し、特別縁故者への分与制度の新設、危難失踪(しっそう)の期間短縮、同時死亡の推定の規定新設などが行われ、(2)1976年には婚氏続称制度の新設、(3)1980年には、配偶者の法定相続分の引上げ、寄与分制度の新設、遺留分の見直し等が行われた。これらの軽微な改正に対し、(4)1987年には特別養子制度(民法817条の2以下)が、また、(5)1999年(平成11)には成年後見制度(民法7条以下・838条以下)が創設された。(6)2004年(平成16)には、民法の現代語化に伴う表記や形式の整備が行われ、(7)2011年には、児童虐待防止法等と連動して、親権停止制度の新設(民法834条の2)をはじめとする親権関係の改正が行われた。そして、(8)2013年には、最高裁判所による非嫡出子の相続分が嫡出子の2分の1であることに対して違憲であるとの決定(平成25年9月4日最高裁判所大法廷決定、民集67巻6号1320頁)を受けて法定相続分(民法900条4号)が改正され、(9)2016年には、再婚禁止期間の一部違憲判決(平成27年12月16日最高裁判所大法廷判決、民集69巻8号2427頁)を受けて、再婚禁止期間の規定(民法733条・746条)が改正された。さらに、(10)2018年には、成年年齢を18歳に引き下げ(民法4条)、婚姻年齢を男女平等とした(民法731条)ほか、相続法の改正が行われた。この成年年齢の引下げは、1876年の太政官布告以来、約140年ぶりの改正であるとともに、相続法の改正も、高齢化社会の進展や家族関係の多様化に対応するための大きな改正であり、配偶者居住権や短期居住権の新設(民法1028条~1041条)、遺産分割や遺言制度、遺留分制度に関する見直しなどが行われている。なお、成年年齢の引下げに関する改正は、その周知を徹底するために、施行までに3年程度の周知期間を設けたあと、2022年(令和4)4月1日に施行された。
〔3〕今後の課題
以上のように、家族法に関しては、大小さまざまな改正が繰り返し行われ、その内容は不断に検討されている。しかし、1996年2月に、法務省法制審議会が法務大臣に答申した「民法の一部を改正する法律案要綱」の内容の多くは、いまだ実現されていない。そのおもなものは、(1)選択的夫婦別姓制度の導入、(2)財産分与において各自の寄与の程度が不明なときは等分するという「2分の1ルール」の導入、(3)離婚原因に婚姻の本質に反する5年以上の別居を導入する、などである。とりわけ、選択的夫婦別姓制度については、この要綱の公表後、反対論が展開され、政府による民法改正法案の国会提出は阻止された。その後、夫婦同氏を規定する民法第750条を違憲とする訴訟が提起されたが、最高裁判所はこれを合憲とした(平成27年12月16日最高裁判所大法廷判決、民集69巻8号2586頁。5名の反対意見が付されている)。選択的夫婦別姓制度の導入は、現在もなお議論され、今後の家族法改正の課題の一つである。
[野澤正充 2022年4月19日]
家族は血縁関係による結び付きであり、企業のような利益共同体とは異なる。この夫婦や親子の利他的な行動を基本とする家族の行動分析に、個人の利己的な行動を前提とする経済学の手法がどこまで適用できるか疑問をもつ人も多い。しかし、最小の費用で最大の成果を得ようとする人々の合理的な行動は、企業だけでなく、家族という組織内の行動についても共通した面が多い。たとえば、子どもの喜びは親の満足でもあるとすれば、親が子どものために自らの利益を犠牲にする利他的な行動についても、家族全体としての効用最大化行動の一つの現れと考えられる。
家族は、家事・育児・介護など、市場や公的部門と代替的なサービスを生産するとともに、それらを消費する主体でもある。また限られた家族の時間を、企業への労働力供給と家族自身の活動とに配分する。これら経済的な要因に注目することが、経済発展のなかで、親子や夫婦関係に生じている大きな変化と、将来の家族の方向を考えるうえでも必要となる。
[八代尚宏 2024年2月16日]
夫婦を中心とする核家族が、今日のような一般的なものとなる以前の典型的な家族の形態は、血縁関係に基づく3世代家族であった。これは一家の働き手の中心である夫婦とその子ども、および夫婦の両親、場合によっては未婚の兄弟姉妹までが同居する大家族であった。
伝統的な家族は、いわば企業と同様な生産活動の単位として、一つの自給自足システムを形成している。家族内では、その世帯員の個別の労働に、対価としての賃金が払われるわけではないが、家族の保有する資産(土地・住宅等)は実質的に共有のものであり、家族構成員の消費も共同で行われる。農家などの自営業が経済システムの中心であった時期には、子どもは労働力の提供者であるだけでなく、家族の事業の後継者でもあり、親の老後の生活保障を担うという重要な機能をもっていた。いわば子どもは親にとって、経済的な価値を生み出す人的資本のような役割を果たす不可欠の存在であり、それを中心に家族は強い絆(きずな)をもつ社会制度であった。
経済の生産活動の主流が、大家族を中心とした自営業の形態から、企業に勤めるサラリーマンという働き方になるとともに、夫婦とその子どもからなる核家族世帯が家族の典型像となる。そこでは、家族の所得水準の向上とともに、大家族が住居や食事をともにして生活費を節約する「家族規模の利益」よりも、異なる価値観をもつ世代が同居しないことによるプライバシーの保持という価値が優先する。未婚の成人した若年者が親から独立したり、老親が子ども世帯と別居して生活したりすることによる単身世帯や高齢者世帯の増加は、生活コストが高くても、満足度の高い生活様式を優先する行動の一つと考えられる。
こうした家族行動変化の背景には、産業・就業構造の変化がある。伝統的な家族パターンをもつ自営業者と家族従業者が就業者全体に占める比率は、1960年(昭和35)の47%から2022年(令和4年)には10%にまで低下した(総務省「労働力調査」)。この背景には、自営業と異なりサラリーマン世帯にとって、仕事の場と生活の場とは完全に切り離されたことがある。また、都市部(人口集中地区)に居住する人口の比率が1960年の44%から2020年には70%にまで高まる(「国勢調査」)などの都市化が進展した。これらの結果、伝統的な大家族主義にとらわれない自由な行動が可能となることで、核家族数をいっそう増加させる要因となった。
親子の同居率は、就業形態や地域差以外に、親の経済的・社会的条件によっても大きく異なる。一般に親の年齢が高く、単身で女性であるほど、また体力が衰えているほど、子どもと同居する親の比率は高い。これは家族の扶養機能が、依然有効であることを示唆している。
[八代尚宏 2024年2月16日]
経済発展に伴う家族行動の大きな変化は、家族内労働から市場労働への代替と女性の社会進出である。急速な都市化の進展やサービス産業の発展、および女性の高学歴化は、よい就業機会を増加させ、夫婦がともに給与所得者として働く共働き世帯の急速な増加が進んだ。サラリーマンの妻が、家庭の外で夫とは別個の収入を得るような「共働き世帯」と、結婚した女性が伝統的な家族の一員として家業を助けるものの独自の収入をもたない「自営業世帯」との間には、女性の行動パターンに基本的な違いがある。
自営業世帯の妻は、夫との共同経営者であり、仕事と家事・育児との時間配分は柔軟に行える、いわばフレックス・タイム制である。さらに多くの場合、夫婦がともに働く場所と生活する場所とは同一であり、通勤の必要性も少ないことから、女性の就業と家事・子育てとの両立は容易となる。
これに対して、夫と妻とがそれぞれ別個の雇用主との雇用関係にあり、独自の収入を得ている共働き世帯では、時間配分の自由度は低く、女性が就業しながら子育てを行うことは困難な場合が多い。他方で、自営業者の女性や、妻が夫に経済的に依存する専業主婦の場合と比べて個人としての収入を得る女性の場合には、経済的な独立性が高いという面もある。
こうした家族内での夫婦の分業関係を貿易関係に例えれば、自営業者世帯や専業主婦世帯は、日豪間のように互いに不足している商品や原材料を取引する垂直的貿易関係であるのに対して、共働き世帯は、日米間のように競合する商品を取引する水平的貿易関係にあるともいえる。後者はいわば日米貿易摩擦のように利害対立が生じて、離婚率が高まりやすい状況とも考えられる(詳細は、項目「婚姻」の「結婚の経済学」の章を参照)。
[八代尚宏 2024年2月16日]
サラリーマンとしての女性の増加により、これまでの妻子を養う世帯主男性を暗黙の前提としてきた日本の固定的な雇用慣行との間にさまざまな問題が生じている。高度成長期には、中学・高校を卒業した女性が工場などで働くことは珍しくなかったが、それはあくまでも短期間の就業にとどまっており、結婚や出産時の退職が一般的なものであった。しかし、女性の高等教育機関への進学率の高まりとともに、男性と同様に結婚・出産後も職場にとどまる比率が高まっている。
既婚女性が男性と同様にフルタイムの仕事を続けるためには、夫の協力以外にも、従来もっぱら家族内部で行われていた子育てや介護機能の社会化が必要となる。これは、まず、子育てや介護のための休業制度である。保育に関しては、出産後に原則1年間(一定の条件のもとでは2年間)の育児休業(無給)制度(1992年施行)があり、その間、失業に準じたものとして雇用保険給付(従前賃金の50%以上)が支給される。事業主に対しては、その間の雇用保障だけでなく職場復帰後の不利益な取扱いが禁止されている。
また、家族に要介護者が生じた場合に、それに対応した準備を整えるための準備期間として、3か月の介護休業(無給)(1995年施行)が認められており、やはり雇用保険給付(従前賃金の67%)が支給される。なお、育児休業と比べて介護休業の期間が短いのは、前者が家族が自ら保育することが前提なのに対して、後者は、介護保険を用いた在宅介護や介護施設入所などの準備を行うための期間とされているためである。
家族への公的な支援として、高齢者の介護リスクを社会的に分担するための公的介護保険が、2000年度(平成12)から施行された。これは40歳以上の者の保険料負担により、要介護認定を受けた高齢者が、その要介護度に応じた在宅・施設での介護サービスを受給できる社会保険である。これは従来の公的福祉と比べて、企業などによる多様な介護サービスの供給が可能となり、それだけ個人の選択の余地が広がることになった。
さらに、就業継続と子育てとの両立を図るための社会的インフラとして、認可保育所が市町村や社会福祉法人によって運営されている。これらは利用者の負担を軽減するため、一定の設置・運営基準を満たすことを条件に公的補助金が交付されている。この保育所の供給が制約されていたため、保育需要が大きな都市部では多数の待機児童が発生したが、多様な質の高い認可外保育所の整備で、その解消が進んでいる。
[八代尚宏 2024年2月16日]
現在の税や社会保険などの公共政策は、暗黙のうちに、夫が家庭の外で働き、妻が家庭を守るという伝統的な家族に有利になっている。まず、所得税の制度についてみると、日本では原則として個人単位をとっており、共働き世帯であれば、夫婦の各々の所得に課税される。この例外が配偶者控除であり、家庭に一定の所得水準以下の配偶者がいれば、その分だけ世帯主の所得税が少なくなる特典が与えられている。これは専業主婦が、障害者や、被扶養者としての子ども・高齢者と同列に、世帯主にとって一方的に扶養負担のみがかかる存在とみなされていることを意味する。また、結果的に被扶養者とみなされる所得水準以下にパートタイム労働を制限することで、多様な働き方における家族間での公平性と効率性の両面で大きな問題がある。
家族の合理的な行動を前提とすれば、その世帯員が家事労働に専念することと市場で働くこととは同等の価値をもっている。すなわち、家事労働は、市場サービスと代替的なサービスを家庭内で生産する活動であり、同時にそれを自ら消費しているものと考えられる。これは農家が自ら生産した農産物を、市場で販売するかわりに自家消費することと同じ行動である。それにもかかわらず、かりに市場で働く場合には、その所得に税金が課される半面、生産活動としての家事労働に対しては、世帯主の所得から扶養控除(配偶者控除)という形で政府が補助金(マイナスの税金)を与えていることになる。こうした配偶者の家事労働を保護する仕組みは、家庭の主婦がフルタイムで就業する場合に、税制上不利となり、主婦が「働くことへの壁」を形成する。
こうした配偶者控除の存在理由に関しては、いくつかの説明がなされている。まず、「子育て負担」に見合う控除であるという見方がある。しかしそうであれば、子どもを育てている自営業世帯・共働き世帯にも平等に適用される子どもの扶養控除の拡大にあてるべきだという反論がある。また、「家事労働への評価」とする説もあるが、これは単身者世帯や共働き世帯でも、同様に家事労働は行っていることから、専業主婦の家事労働だけが「社会的に評価」されるのは不公平といえる。そもそも、配偶者の家事労働の受益者は世帯主であり、政府(国民一般)ではない。こうした配偶者控除の必要性に関する説明がなされたとしても、女性が家庭にとどまることに、社会的に特別の価値があると考えない限り、こうした税控除制度は正当化できない。
さらに配偶者控除制度は、労働市場をゆがめる弊害がある。配偶者が就労する場合に、その所得が一定の水準を上回ると、その増加額に応じて世帯主の配偶者控除額が減らされるため、事実上、家族にとっては増税と同じことになる。これに加えて、世帯主の会社での配偶者控除の規定に倣って妻の所得が一定の水準を超えると、配偶者手当が打切りになる場合もある。このように、市場で働かない配偶者へのさまざまな優遇措置は、逆に、女性が家庭外に出て働こうとする場合に不利益を被ることになり、女性の就業行動を抑制する大きな要因となる。
公的年金や医療保険制度における被扶養配偶者の取扱いも所得税と共通している。年金の場合、自営業者世帯を対象とした国民年金と、サラリーマンを対象とした厚生年金・共済年金とでは大きく異なる。国民年金は、あくまでも個人単位で、夫も妻もそれぞれが独自に保険料を支払い、年金の給付を別々に受け取る仕組みになっている。これに対して、厚生年金や共済年金は家族を単位としており、妻は夫の生存中はその年金で、また夫の死亡後は遺族年金で保障されるという考え方になっている。こうした制度のもとでは、高齢になって離婚した場合、妻の年金収入がなくなるという問題が生じる。これに対して、1985年(昭和60)の公的年金改革で、サラリーマン世帯の無業の妻も自営業者と統合されて基礎年金の受給者となり、保険料が収入に比例していた厚生年金や共済年金は、この上乗せ分として存続することになった。
しかし、この改正の際に、サラリーマン世帯の無業の妻を、自営業者の場合のように、個人単位の国民年金に被保険者として強制加入させるかわりに、独自の保険料負担なしに、夫の保険料でカバーされる家族単位の仕組みとしたことが、後に大きな批判を受ける原因となった。つまり、単身世帯や共働きの世帯と比べた片働き(専業主婦)世帯は、世帯主の賃金水準が同じであれば同じ保険料を支払うにもかかわらず、給付面では2人分の基礎年金を受け取る。これは専業主婦の保険料を、単身世帯の男女や共働き世帯の夫婦も、ともに間接的に負担していることになる。
離婚に伴う無年金者の発生を防止する観点からは、むしろ世帯主の報酬比例年金分も含めて、夫の年金を夫と妻の間で婚姻期間に応じて分割することが、妻の家庭内生産活動への貢献分として妥当なものといえる。
現行の雇用慣行や税・社会保険などの公共政策は、女性は適齢期になれば結婚するのが当然であり、また結婚すれば家庭にとどまるのが普通であるというような、一時代前の暗黙の前提のうえに成立している。その結果、こうした女性のライフ・サイクルから外れた独身者や共働き世帯の配偶者は、専業主婦と比べて相対的に不利な扱いを受けることになる。家族の就業形態に対して、税制や社会保険制度が差別的な影響を与えることは、労働供給の効率性や所得分配の公平性を妨げる大きな要因であり、女性の就業の有無にかかわらず、中立的な個人単位の制度への改革が必要とされる。これが家族の経済学から得られる一つの政策的な意味である。
[八代尚宏 2024年2月16日]
2020年の経済協力開発機構(OECD)の調査による家事・育児・介護等の無償労働時間の国際比較では、どの国も女性の方が長いが、男女比(男性を1とした場合の女性の比率)では5.5倍の日本がもっとも大きい。これは日本企業の働き方が、男性の有償労働時間がもっとも長いことを反映しており、夫婦間での仕事と家庭の役割分担が暗黙の前提となっていることの反映といえる。
しかし、既婚女性が働く比率の高まりとともに、夫と妻がともにフルタイムで働けば、だれが子育てをするのかとの問題が生じる。この結果、既婚女性がキャリアを追求すれば子育てをあきらめざるを得ないケースも考えられ、また子育てを優先すれば女性の管理職比率はいつまでも低いままとなることも考えられる。
この二者択一問題を解決する一つの手法が、男性の家事・育児・介護への参加である。このうち、とくに育児に関して男性の参加を促すために、労働基準法と育児・介護休業法の改正が2022年度に実施された。これらのおもな内容としては、男性が取得可能な「出生時育児休業」制度の新設と、企業に対する男性育休取得推進の義務化がある。これに伴い、男性の育児休業取得率は2022年度で17.1%となり、2019年度の7.5%と比べて大きく上昇したものの、女性の80.2%との差は依然として大きい。
[八代尚宏 2024年2月16日]
『小山隆編『現代家族の役割構造』(1967・培風館)』▽『増田光吉著『アメリカの家族・日本の家族』(1969・日本放送出版協会)』▽『戸田貞三著『家族構成』(1937・弘文堂/1970・新泉社)』▽『森岡清美著『家族周期論』(1973・培風館)』▽『大橋薫・増田光吉編『改訂 家族社会学』(1976・川島書店)』▽『G・P・マードック著、内藤莞爾訳『社会構造』(1978・新泉社)』▽『望月嵩・本村汎編『現代家族の危機』(1980・有斐閣)』▽『上子武次・増田光吉編『日本人の家族関係』(1981・有斐閣)』▽『姫岡勤著『家族社会学論集』(1983・ミネルヴァ書房)』▽『布施晶子著『結婚と家族』(1993・岩波書店)』▽『袖井孝子・鹿島敬著『明日の家族』(1995・中央法規出版)』▽『野々山久也・袖井孝子・篠崎正美編著『いま家族に何が起こっているのか――家族社会学のパラダイム転換をめぐって』(1996・ミネルヴァ書房)』▽『望月嵩著『家族社会学入門』(1996・培風館)』▽『森岡清美・望月嵩著『新しい家族社会学』(1997・培風館)』▽『野々山久也・渡辺秀樹編著『家族社会学入門――家族研究の理論と技法』(1999・文化書房博文社)』▽『樋口恵子編『対談 家族探求――樋口恵子と考える日本の幸福』(1999・中央法規出版)』▽『山田昌弘著『家族のリストラクチャリング』(1999・新曜社)』▽『野々山久也著『現代家族のパラダイム革新』(2007・東京大学出版会)』▽『野々山久也編『論点ハンドブック家族社会学』(2009・世界思想社)』▽『L・H・モルガン著、青山道夫訳『古代社会』全2冊(岩波文庫)』▽『榊原富士子・吉岡睦子・福島瑞穂著『結婚が変わる、家族が変わる』(1993・日本評論社)』▽『利谷信義著『家族の法』(1996・有斐閣)』▽『早野俊明著「家族法改正をめぐる法学会の動向」(家族問題研究学会編・刊『家族研究年報』37号73頁所収・2012)』▽『前田陽一・本山敦・浦野由紀子著『民法Ⅵ 親族・相続』第5版(2019・有斐閣)』▽『八代尚宏著『結婚の経済学』(1993・二見書房)』▽『A・シグノー著、田中敬文・駒村康平訳『家族の経済学』(1997・多賀出版)』▽『八代尚宏著『日本的雇用慣行の経済学』(1997・日本経済新聞社)』▽『八代尚宏著『少子・高齢化の経済学』(1999・東洋経済新報社)』▽『山口慎太郎著『「家族の幸せ」の経済学――データ分析でわかった結婚、出産、子育ての真実』(2019・光文社)』▽『Gary BeckerA Treatise on the Family(1981, Harvard University Press)』
家族familyという言葉は,動物生態学や行動学などでも一般に広く用いられているが,多くは厳密な定義に基づくものではなく,生物学的家族biological familyとして人間家族とは区別することが望ましい。鳥類のつがいとその雛たちをまとめて家族と呼び,テナガザルのように雌雄各1頭とその子どもからなる集団を家族と呼んだりする。また,シカなどに見られる母と子の集りを母家族mother family,タマシギなど父が子の世話をする習性をもつ種に見られる集りを父家族father familyと呼ぶ場合もある。しかしこのような親子の世代をつなぐ集団構成だけに着目した用法は適切ではなく,人間の家族の概念に当てはまる社会構造は,動物の社会には見られないといってよい。今西錦司は,家族であることの最小限の条件として,その集団において近親婚が回避されていること,それが外婚の単位であること,それがより高次の地域社会に内包されていること,その集団の雌雄の間で経済的な分業が成立していることの4点を挙げた。また今西は,ゴリラの単雄集団は,上記のうち第3までの条件は満たすが,最後の雌雄間の経済的分業は見られないとして,このような社会単位を家族と区別して類家族familoidと呼んだ。近年のゴリラの社会についての研究では,ある集団で生まれた雌は他集団に移籍するが,単独行動をする雄と新たな集団をつくることが明らかにされ,したがってこの集団は外婚の単位であり,近親婚回避の機構は備わっているとみなしうるが,雄間には互いに相いれない厳しい対立があることが明らかになり,ゴリラの地域社会とはこのような拮抗関係にある集団の集合であるということに留意しておく必要がある。伊谷純一郎は,高等霊長類の社会には家族と同等のものは認めえないとし,家族はチンパンジーのような多雌多雄で父系の集団からその下位単位として析出するものとして,家族発生の母体となると想定されるこのような集団をプレバンドprebandと呼んだ。そして,プレバンド内に見られる雄間の強い社会的結合は,性による分業を可能にする基盤であると考えた。上記の今西が挙げた4条件を満たす社会は,鳥類の中で,ガンやカラスなどには存在するという見解もあるにちがいない。すなわち,繁殖期にはつがいをなして育雛(いくすう)し,抱卵や育児などに性的分業が見られ,繁殖期がすぎるとより大きな地域社会の中に解消するが,繁殖期における同じつがいはほぼ終生にわたって持続されるという社会である。しかし,人間家族発生の機序についての考察には,構造的・機能的相似のみでなく,系統的視点を重視した考察が不可避であろう。人間家族の形成は,社会の進化的基盤とともに,言語の発生,社会制度の発生などとも微妙なかかわりをもった現象であるにちがいないことを指摘しておきたい。
執筆者:伊谷 純一郎
近親関係を中心に構成される最小の居住集団を〈家族〉とか〈世帯〉とか呼んでいる。このような最小居住集団はかつては〈個別家族individual family〉〈基本家族elementary family〉などと名づけられていたが,最近では,G.P.マードックの提唱した〈核家族nuclear family〉の名称がひろく用いられている。ここではまず学問上,家族がどのように問題にされてきたかを概観し,以下では日本の場合を中心として家族観の変遷を述べ,さらに〈現代の家族〉について議論することとする。
人はだれでも必ず,所属する社会固有の方法によって,親族や姻族のネットワークの中に位置づけられる。このネットワークはもちろん,単なる血縁関係の強弱に従って構成されているわけではなく,人が動物と同様にもっている生物学的つながりは,社会的にさまざまなかたちにアレンジされて,世界各地に多様な親族体系をもたらしている。この多様で,歴史的にも変化してきた親族関係の中で,もっとも普遍的かつ社会的・文化的意味が大きいとされるのが家族という単位である。しかしこの単位も,婚姻形態によっては必ずしも生活上の明確な単位になっているわけではない。また,例えばR.ウィリアムズの指摘するように,英語におけるfamily(家族)という語にしても,従来この語がもっていた使用人を含めた世帯,あるいはこの語に含まれていた財産,血統などの意味が落ち,一つの家に住む少数の親族という今日的意味が定着したのは,近々19世紀初めのことにすぎない。この変化の背後にはこの小集団を賃金労働によって扶養される単位に単純化した,産業革命以後の新しくて強力な社会関係が横たわっているのである。
19世紀末から20世紀にかけてのこの時期は,同時に生物学的進化論が隆盛をきわめた時代でもあり,家族論はこの影響を濃厚に受けて,家族の諸類型を進化論的系列に並べて理解しようとする試みが多く現れた。その典型がL.H.モーガンで,彼は《古代社会》(1877)において,婚姻形態を原始乱婚制からもっとも進化した一夫一婦制に至る数段階に配列し,家族形態もそれに対応させた。この仮説の基礎になっている親族名称の分析は,人類学史上画期的なものとされ,さらにエンゲルスの《家族,私有財産および国家の起源》(1884)にそのまま踏襲されて大きな影響力を振るった。しかしその後の人類学者の研究の結果,彼の学説には否定的見解が多く出されている。
家族についての先駆的研究としては,これ以前に代表的なものとしてバッハオーフェン《母権論》,H.J.S.メーン《古代法》(ともに1861),フュステル・ド・クーランジュ《古代都市》(1864)が挙げられよう。《母権論》は,原初的雑交Hetärismus期に次いで母権制あるいは女人政治制Gynaikokratieを想定し,父権制に先行するものとした。しかし出自原理の母系制と異なり,家族内において,さらには政治的・社会的領域において女が男に優越するとする母権制社会の存在は,今日では賛成を得ていない。バッハオーフェンは神話や墓のシンボリズムの解説を通して太古の女性支配を導出したが,農耕神,地母神,冥界神としての女神の優越,あるいは祭祀的場における女性の特権的地位は,世俗的局面における女性支配につながるものではない。彼に対する今日的再評価の動向は,彼の家族論ではなく,当時の史学界の文献学的リゴリズムに対抗した彼のロマン主義的方法への,いわば思想史的ないしは神話学的角度からのものであるといえよう。《母権論》とは逆に他の2著はともに古代家族における家父長権を強調したものであるが,クーランジュにおける家族(ギリシア,ローマ,インド)では,真に支配的なのは祖先崇拝としての家族宗教であり,家父長権はその祭司的地位に淵源するとされている。
マードックは,核家族とは,1組の夫婦と未婚の子どもたちからなる基本的社会単位であって,どのような社会にも普遍的に存在すると強調した。このような核家族普遍説は,あたかもマードックがはじめて提唱したかのように受けとられているが,この説の源流は,20世紀初頭ごろからしばしば強調されてきた,19世紀的社会進化論とりわけ〈一線的社会進化論〉に対する批判的論説であった。その批判説の代表例としては,オーストラリアのアボリジニー社会における個別家族の存在を証明しようとしたB.マリノフスキーの初期の著書《オーストラリア原住民の家族》(1913)およびモーガンの《古代社会》を批判したR.H.ローウィの主著《原始社会》(1920)があげられよう。ローウィの家族論でとりわけ顕著な点は,単婚小家族に先行して母系氏族の形成を主張するモーガンの〈母系氏族先行説〉に対する徹底的な反論である。モーガンによれば,人間社会は蒙昧(もうまい)(採集狩猟期),野蛮(農耕期)の2段階を経て,文明期にさしかかって初めて単婚小家族(つまり個別家族)の出現をみるにいたったという。モーガンの家族論に従えば,一夫一婦的小家族は,人類史のずっと後に形成された形態であるが,ローウィはこれに対し,採集経済をふくむ原始的な生産形態をもつ多くの社会から得た資料によって,1組の夫婦と未婚の子女からなる個別家族の絶対的普遍性をとなえた。この説が,現在の核家族論の源流である。
ローウィからマードックにつながる核家族の普遍性の理由としては,人間の性,食,しつけなどの諸欲求を充足させるもっとも身近な社会集団が核家族であるということであった。そしてさらに,夫婦,親子,きょうだいなどの〈感情的一体感〉にもとづく友愛集団として核家族の普遍性を認めた。しかし,友愛集団としての核家族論に反するような事例も数多くみられる。例えば,メラネシアのドブ族では,他の外婚的母系氏族の成員を敵対的存在とみて深い不信の対象としており,したがって,他母系氏族の男女の間で結婚せざるをえない男女は相互不信の関係にあり,互いに妖術をしかけてくる危険な存在だと考えていた。このような例から,感情的一体感を前提とする核家族の普遍性は,最近では疑問視されるようになってきた。他方,家族の存在理由を近親相姦(そうかん)の禁忌に求めるC.レビ・ストロースの考え方が注目されるのである。
核家族の普遍性に疑問をもつ研究者は最近でもさまざまな主張をもってあらわれている。しかしこれらは,世界各地におけるさまざまな家族の諸形態の形成論にまではおよんでいない。この点に関しては,古くはM.ミードの論文《未開家族》(1931)とR.リントンの《人間の研究》(1936)における諸説が注目される。ミードは家族論を展開するにあたっては,〈生物学的家族〉と〈社会学的家族〉との区別に注目する必要があるという。生物学的家族とは,遺伝学者などが用いる生物的関係にもとづく家族諸関係であり,社会学的家族とは,現実の社会組織や宗教・呪術体系に組み込まれた結果としての家族諸形態である。社会学,文化人類学,歴史学などが取りくむ家族とは後者であると説く。
社会的リアリティをもつ家族諸形態とは,(1)家族成員権のたどり方,(2)財の相続方式,(3)地位や称号(家名をふくむ)などの継承方式などによって規定されている。そしてこれらに加えて生態学的諸条件や歴史的・宗教的条件などが,さらに複雑な家族諸相をひきおこしている。
→親族 →父系制 →母系制
執筆者:村武 精一
夫婦と未独立の子は親族集団の単位であるが,それを越えてどの範囲の親族を家族のなかに包摂するかは,社会の成員が分有する家族形成のあり様によって,次の3類型に大別される。(1)夫婦家族制conjugal family 結婚によって成立する夫婦を中心とする家族で,既婚子とも同居せず,夫婦の一方ないし双方の死亡で消滅する,夫婦一代限りの家族である。ただし,一方が死亡した後,残された方が子の家族と合流することはある。夫婦家族制は労働力の地域移動が高い社会で支配的となりやすく,イギリス,北ヨーロッパ諸国,アメリカなどに多くみられる。(2)直系家族制stem family 子の1人だけが結婚後も後継ぎとして親と同居する家族で,世代を越えて直系的に再生産されていく。後継ぎ以外の既婚子が同居することがあっても,長期にわたることはない。これは小農の多い国に広く存在しており,フランス,ドイツ,アイルランド,北イタリア,北スペインなどのヨーロッパ諸国,日本,フィリピンなどの農村にみられる。(3)複合家族制compound family 複数の既婚子が親と同居している多人数の家族で,父の死亡を契機として,既婚子夫婦ごとに分裂する傾向があり,拡大と分裂をくり返す。インドの高級カーストの合同家族joint family,中国貴紳階級の家父長家族,中東諸国の大家族,バルカン僻地(へきち)のザドルーガzadrugaなどにみられた。
家族形成のパターンは時代を越えて保持される傾向がある反面,構成の単純なパターンへ切り換えられていく面もある。アレンズバーグC.M.Arensbergによれば西ヨーロッパの農村家族は複合家族制から直系家族制への変化を中世に経験し,ユーゴスラビアでは今日それを経験しているという。家制度は直系家族制の日本的典型であるが,それが夫婦家族制へ推移したのは第2次大戦以後のことである。いわゆる,核家族への移行である。
インドの合同家族はしばしば数十人の成員を含み,明治期に存在した飛驒白川村の大家族も,数十人の成員を合掌造の住居に収容していた。しかし,これらは例外的なケースであって,家族は数人の成員からなり,核家族であることが多い。核家族は人数も少なく,構成も単純であるが,親と子二つの世代,夫婦と親子二つの基礎的関係を含んでいることから,二面性が生じる。第1の相は子の世代から見るとき現れるもので,父,母,きょうだいという構成をもち,運命的に結ばれている。この家族の軸は親子関係であり,幼少の子を含んでこれに全生活的な愛護を加え,養育し,社会的ルールを教え,自分の社会的役割を自覚させる。それゆえ子どもを社会的に位置づけるという意味で定位家族family of orientationと呼ばれる。第2の相は親の世代から眺めるとき出現する,夫,妻,子という構成の家族である。夫婦が結婚してつくった家族であるから,生殖家族family of procreationと呼ばれる。その軸は夫婦であって,配偶者の選択といい,子の人数の選択といい,選択の要素が介在する。結婚における当事者の主体性尊重,離婚に対する社会的制裁の減退,進んだ計画出産技術の普及などの第2次大戦後の日本にみる動向は,生殖家族の選択的性格を助長したが,産児の性別さらに遺伝子の選択が可能になれば,この性格はいっそう強められる。核家族は,定位家族の位相においては運命的につながれ結ばれているが,生殖家族の位相においては当事者の選択の所産という性格をもっている。
→家族社会学
執筆者:森岡 清美
家は,直系家族的構成を主としてとりながら,親子関係(とくに父と息子の関係)を軸として,超世代的連続を志向することを基本的特徴とする。家は内部的には家族の生産的機能に対応して労働組織を構成し,また宗教的機能に対応して祖先祭祀の単位をなしている。また外部的には村落社会の基礎的単位として重要な役割を担っている。労働組織としての家は賃労働形態をとらない,いわば〈賃金のいらない労働組織〉であり,家長を労働組織の長として家族員はその指導のもとに家業経営に従事する形態をとった。祖先祭祀の単位としての家はそのシンボルとして位牌,墓地,屋敷神をもち祖先の祭祀を日常的あるいは非日常的に行う。日本人の観念する先祖は家の先祖であり,家を単位とした祖先祭祀を通じた祖先と子孫の一体性は家の超世代的連結確保のための重要な基礎をなしている。村落社会の構成単位としての家は,村落社会に対してさまざまな権利義務関係をもつので,家の成立は居住単位としての独立のみでは不十分であって,これに加えて村落社会の承認が必要である。家の生産的機能の衰退にともなって,今日労働組織としての家の重要性は減退したが,祖先祭祀の単位としての家の重要性は失われていない。
超世代的連続を志向する家は,その内部に相続,隠居,養子縁組,婚姻,分家などさまざまな家族制度を内包しており,その家族制度の差のいかんによって日本の家にはさまざまな地域的偏差が認められる。地域的偏差を前提として日本の家を類型化すれば〈東北日本型の家〉と〈西南日本型の家〉に大別できる。東北日本型の家は家の規模が比較的大きく,強大な家長権が存在し,労働組織においても,またその他の家族生活においても家長の強力な統制のもとに家族員の行動が規制される典型的な家父長制家族である。これは主として東北地方や北陸地方に典型的な家族形態であるが,その最も極端な形態は岐阜県白川村にかつて存在した大家族である。東北日本型の家の相続形態は,子どもたちのうちで親との年齢差が最も少ない長男もしくは男女にかかわらず初生子が相続する長子相続,姉家督相続であり,家族員をできるだけ多く保持しようとする大家族的イデオロギーがみられた。したがって家族内部における複世帯制としての隠居制はこの型の家には欠如し,また婚姻は嫁入婚が典型的であった。さらにこの型の家は村落内部に多くの分家を創出し,この分家との間に上下的な系譜関係を設定することによって同族組織の組織化を促進した。したがって同族組織に最も適合的な家は東北日本型の家であった。これに対して西南日本型の家は,家の規模が比較的小さい。ときとして隠居制をもち,東北日本型に較べると居住単位を小さくしようとする小家族的傾きが濃い。この型の家においては末子相続や選定相続のように,親との年齢差の大きい末子などが優先する相続形態が少なくない。
→家 →家筋 →家格 →家族制度
執筆者:上野 和男
家族は,その中で人の出生と死亡が生起する集団であるから,出生児数および寿命の変化に規定される。また,家族は消費共同体であるから,社会の経済の動きによって左右される。さらに家族は,家族生活に関する社会規範によって制度的に支えられる集団であるから,家族イデオロギーの推移に規定される。戦後日本では,出生児数の著減と寿命の大幅な伸び,経済成長に伴う労働力移動,改正民法などに明示的にあらわれた夫婦家族制イデオロギーの浸透があった。これらの変動要因で説明しうる戦後の家族変動には,次の諸側面がある。
(1)小家族化 国勢調査結果により,2人以上の普通世帯1世帯当りの人数をもって平均家族規模をとらえるなら,1920年5.12人,30年5.21人,50年5.20人,55年5.11人となる。産業化が進むほど家族規模は縮小する,つまり小家族化するといわれるが,日本では1920年から55年の35年間,大きく見ればほとんど横ばい状態で変化がなく,上の命題を裏切る結果となっている。ところが,55年以降急激な縮小を開始した。60年4.74人,65年4.32人,70年4.01人,75年3.83人,80年3.77人となり,とくに55年から75年の20年間で1.28人の縮小を記録した。かつてイギリスでは,産業革命後ほぼ1世紀の間世帯規模が縮小しなかったが,日本でもこれに似た縮小延期現象が起き,その後急降下したのだった。75-80年の縮小幅が小さいところから,日本では低下の底に接近しているとみることができよう。
(2)核家族化 戦後日本の核家族化の傾向も著しいが,これについては〈核家族〉の項目を参照されたい。
(3)サイクル・パターンの変化 5人も6人も子を産んで,末子が一人前になったころ父が死亡し母が残される戦前のパターンから,2人の子を比較的相接して産み,その独立後十数年の夫婦健在の老年期(エンプティ・ネスト期)を迎える戦後のパターンへと移行した。同様の変化をアメリカの家族は第1次大戦前後に経験し,日本の家族は30年ほど遅れてこれを体験した。
(4)配偶者選択様式の変化 結婚に至る道によって見合結婚と恋愛結婚に分けるなら,1960年代の中ごろ,見合結婚優勢から恋愛結婚優勢へと推移した。また,結婚に至る現代的な道がその後の夫婦関係に一定の変化をもたらし,ここに平等型夫婦の広範な出現をみた。しかし,共働きの妻が多くなったにもかかわらず,家事役割の性別固定性が存続している。また,かつての親子中心家族に対置されうるような,夫婦中心家族が出現したと考えうる証拠はあまりない。
(5)家族機能の変化 福祉追求という機能には変りがないが,この包括機能に含まれた個別機能の配置に変化が生じた。所得水準が低く,社会福祉制度が未発達であった戦前には,経済機能が中心であり,それは消費のみならずしばしば生産にもわたった。経済機能を果たすために,愛情機能が犠牲になることさえあった。戦後,とくに1960年代以降は,経済成長と社会福祉の充実により,経済機能の達成が容易になったため,愛情機能が中心になった。家族の最も重要な機能を〈休息,憩いの場〉に求める人が多いのは,この推移を反映するものであろう。なお,家族機能は縮小したといわれ,その証拠として外部の専門機関への機能委譲が挙げられる。なるほど,経済的生産,教育,保健などの機能の多くが委譲されているが,遂行がゆだねられているのみで,責任は依然として家族の側にある。提供される財貨やサービスの対価を家族が支払っているのが,その証拠である。
家族のライフサイクルとは,家族のいわば一生にみられる規則的なくり返し現象のことである。人は一生のうちに,模式的には一つの定位家族で育ったのち一つの生殖家族をつくるとともに,家族自身が成員の加齢に伴って一定のコースをたどる。結婚から夫婦の死亡までをとってみると,子どもの出生,入園,入学,卒業,就職,結婚,離家,親の側の退職,死亡などにより,いくつかの危機的な転期を含みながら進んでいく。そして,人数,家計の収支状況,住宅の大きさや使用状況,対社会的活動の種類と程度,夫婦の満足度などの点で,一定の傾向を示すことが明らかになっている。観察を助けるために,しばしば段階が設定される。例えば,(1)子どものない新婚期,(2)第1子出生から小学校入学まで(育児期),(3)第1子小学校入学から卒業まで(第1教育期),(4)第1子中学校入学から高校卒業まで(第2教育期),(5)第1子高校卒業から末子20歳まで(第1排出期),(6)末子20歳から子どもが全部結婚独立するまで(第2排出期),(7)子どもが全部結婚独立してから夫65歳まで(向老期),(8)夫65歳から死亡まで(退隠期),という8段階区分がある。夫65歳というのは退職を含意し,夫の退職によって向老期と退隠期を分別する。しかし,戦前には平均初婚年齢に達した男子の平均余命は65歳以下であったから,向老期のうちに夫の死亡でサイクルが中絶された。それに,子ども数が多かったから,子ども全員の独立離家までに年月がかかり,排出期が終わるか終わらぬうちにサイクルが途絶することも少なくなかった。平均的家族に退隠期が出現するのは,日本では第2次大戦後のことである。段階(2)から(5)までは第1子の成長段階で刻んでいるが,第2子以下の成長段階が干渉効果をもち,子ども数が多いほど,段階の切れめがぼかされる。この区分は子ども数の少ない戦後家族に適合的である。今日,段階(2)に入ると段階(5)までを明確なくぎりで予測することができる。しかし,現代でも見通しがきかないのは段階(6)である。この段階で就職,結婚という,子どもの離家独立を決定的にするできごとが起こるのだが,とくに結婚の予測が困難であるからである。各段階はそれぞれ特有の課題(発達課題)をもっており,順調に解決してゆくことがつぎの段階の課題解決の前提となる。
家族の機能遂行能力が縮小したのに,外部専門機関にこれを補完する態勢が整っていないとき,家族問題が顕在化する。核家族化による老人のみの世帯の増加は,高齢化社会の出現とあいまって,老人扶養を重大な社会問題にしているし,共働きの核家族夫婦における乳幼児保育も大きな問題である。愛情中心の核家族がしつけなど家庭教育を行う能力の低下をきたしているという見方もある。また,小家族化したことが,危機に際して家族が自己防衛する能力を低めたともいわれる。寝たきり老人がいる場合や乳児をかかえて働く母親の場合もすでに慢性的危機状態であるが,災害,急病といった突発的危機となると,小人数の核家族の弱みが一挙にあらわとなる。小核家族化の時代ほど,社会福祉の充実,そして社会連帯の精神に立脚したボランティア活動が望まれるのである。
日本の家族は,母子関係に鮮明に現れるように,甘え甘えられる情緒的相互依存が特徴といわれ,これが個人の自立を阻害し依存的パーソナリティを養うと批判されてきた(過保護)。しかし,アメリカの家族のように自立的個人の結合である場合とは違った,粘り強い凝集力をもつことになる。現代社会の厳しい競争のなかで,日本の家族が精神衛生的機能を果たす面にも注目すべきであろう。
→家族政策
執筆者:森岡 清美
精神医学は理論的にも実践的にも精神障害者の家族を問題としないわけにいかない。理論的にはある精神障害の原因として家族が役割を果たしているかどうか,果たしているとすればどのような次元においてかが問われる。対象となるのはふつう内因性精神障害(統合失調症と感情病ならびにその関連病態)と心因性精神障害(神経症ならびにその関連病態)であって,脳実質の障害に原因のあることが明らかな器質性,外因性,中毒性,老年性精神障害の場合にはその原因として家族を取り上げることはしない。統合失調症や感情病や神経症の家族を取り上げるとき精神医学が問う次元は大きく分けて二つある。一つは遺伝,もう一つは環境である。
精神障害の臨床遺伝学的研究が現代的な方法をもつようになったのは1920年ごろからと思われる。例えば統合失調症について,経験的遺伝予後法による近親者の統合失調症罹患率,双生児による一致率の比較(双生児研究),統合失調症の親から生まれた子で出生直後から非統合失調症の両親に養子として養育された場合のこの病気の発現率(養子研究)などが今日行われている主要な方法である。今日までの知見を総合すると,統合失調症は性染色体遺伝と強い相関があると考えられるが,臨床的に統合失調症と呼ばれる状態は遺伝的に一つではなく異種のものが含まれていると思われる。
もう一つの“環境として”の家族を問うアプローチが現れたのは1940年代のアメリカにおいてであって,その手法は家族成員相互の間のインターラクション(相互干渉)に注目する社会心理学的ないしは人類学的手法であった。そして多くの研究が対象としたのは統合失調症患者の家族であった。統合失調症にこのような立場からの接近をするのに当時のアメリカは絶好の条件を備えていた。つまり,すでに早くから非行少年の家族研究が社会福祉学によって行われていたうえ,精神科医と社会人類学者との協同研究も当時しきりに行われ始めていたからである。初めのうちこそ両親とくに母親の養育態度が過保護にすぎるとか排斥的だといった巨視的特徴の指摘が中心であったが,やがて母子とか父子とか父母という二極関係の抽出をやめ,家族を“全体として”見る見方にかわった。それも,認知や思考やコミュニケーションを微視的に検討する方法がとられた。どの研究も家族への心理療法的ないしはケースワーク的接近に基づいている。提出された概念をいくつか列挙すると,〈家庭内における世代間境界の混乱〉(T.リッツ),〈家庭のホメオスタシス〉(D.D.ジャクソン),〈二重拘束(ダブルバインド)仮説〉(G.ベートソン,ジャクソンら),〈偽の相互性〉(L.C.ウィン),〈家庭神話〉などである。一,二について少し解説を加えると,世代間境界の混乱とは,例えば両親のどちらかが相手に対し配偶者としてより子どもの役割を演じる場合とか,息子に対し母が母としてよりも異性としてふるまう場合などをいう。家庭のホメオスタシスとは,ある家族成員の病気がなおると,他の成員が発病するといった事実の観察から,統合失調症の家庭は全体としてつねに動的平衡の維持を目ざして動く傾向がことのほか強いことを現そうとした概念である。二重拘束説は〈統合失調症の母は同時に少なくとも二つのオーダーのメッセージを表明する〉ので,その中に長くとどまると,他者のメッセージの弁別,メタコミュニケーションの認知などに欠陥が生じるとする仮説である。日本の井村恒郎(1906-81)が独自の音調テストによって行った実証的研究もメタコミュニケーションにかかわるもので,患者自身より家族成員においてかえって思わしくない成績の出ることを示して注目された。
しかしながら,家庭という小社会のなかに統合失調症の成因を求めようとするこの種の研究は1970年代に入り新しい展開力を失ったまま今日に至っている。しかしそこで提出された上述の諸概念は統合失調症以外の精神病理状態(例えば統合失調症と神経症との境界状態や重症神経症など)の家族の理解ないし治療には少なからず役だっている。
以上を理論的側面とするならもう一つの実践面では,ひろく各種の精神病理状態ないしは準病理状態の家族への家族心理療法(ファミリー・サイコセラピー)を挙げるべきだろう。今日では青少年の種々な不適応症状(登校拒否とか家庭内暴力など)への対応として家族心理療法の必要性がひろく認められている。家族への比較的単純な支持療法から深層心理学に定位した洞察療法,悪い習慣の除去をねらう行動療法的な治療まで各種がある。また結婚の危機に選択的に焦点を合わせた結婚カウンセリングが日本でも少しく話題になり出している。そのほか,医師が主導する治療ではないが,患者家族どうしの自発的な組織である家族会が各地に生まれていることも,この項で記すに値するであろう。
最後に,今日の精神医学の臨床経験にてらすとき,家族にはつねに次の三つの軸(ないしは相)があるということを述べて終わりたい。(1)遺伝と環境,(2)個人と社会,(3)現実と空想。(1)(2)については多言を要しないであろうが,(3)については若干の解説がいるかもしれない。われわれが家族と呼ぶものには外的事実的家族と内的イメージ的家族がある。両親と2人の子どもが3DKに住み中産階層に属し,平均的なわが家と意識している場合のいわば外的家族に対し,成員のそれぞれがわが思いの中に深く沈めていて言葉として表出されることのない〈わが家〉イメージがある。フロイトがファミリー・ロマンスといい,統合失調症の家族研究が家族神話,家族伝説と呼んだもののかかわる次元である。無事の時が流れるとき,現実とイメージのずれは気づかれないが,家族としての統合の破綻(はたん)に呼応して二つの間のギャップが浮かび上がる。
執筆者:笠原 嘉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…南太平洋のトロブリアンド諸島の原住民は,子の出生にあたっての父親が果たす役割を知らない。にもかかわらず,家族生活では,タマと呼ばれる男性が子どもにとっては母親の親しい人であり,愛情をこめて自分たちを養育してくれる男親であって,今日の父親のイメージと本質的には異ならない。彼らは父子間の血のつながりを知らないにもかかわらず,社会的な父親の存在を認めていることになる。…
…家父長制は次の三つに分類できる。(1)家族類型としての家父長制 家族におけるいっさいの秩序が,最年長の男性がもつ専制的権力によって保持されている場合,こうした家族は〈家父長制家族patriarchal family〉とよばれる。家父長paterfamiliasは,奴隷ばかりでなく妻や子どもに対しても(極端な場合)生殺与奪を含めて無制限で絶対的な権力をふるう。…
…この関係をやや内容を含めて概括すると,次のようにいうことができる。近世社会の特質は,夫婦家族の労働力を中心として,小規模農業を営む小農から,年々同じ規模の農業を営むにたる物量を残して,その他を全部年貢として取り立てる武士である領主階級との対立のなかから出てくる。初期には,この年貢のなかに治水労働などを中心とする労働や,米以外の雑多な生産物も含まれていたが,米主体の年貢へと変わっていく。…
…最近はしばしば〈子どもへのまなざし〉という,より象徴的な把握が試みられているが,これは両者がより一体的・統合的に機能すると考えられ始めたことを示している。
[〈子ども〉の発見]
フランスの歴史学者アリエスPhilippe Ariès(1914‐84)が,《家族の中の子どもL’enfant dans la famille》(1948),《子供の誕生L’enfant et la vie familiale sous l’Ancien Régime》(1960)などの論稿で提示したのは,子どもおよび子ども時代が,ヨーロッパ17世紀という時代の〈まなざし〉によって発見されていく過程であった。アリエスは〈昨日,それは何であったか? 無であった。…
…すなわち,人類の食事は個人的行動ではなく社会的行動である。文化の別をこえて,人類に普遍的な共食の基本的集団単位は家族である。家族という集団は,特定の男女間の持続的な性関係の維持と,その間に生まれた子どもの養育をめぐってなされる食料の獲得と分配に関する経済単位として成立したものと考えられている。…
…
【概観】
女性運動は近代社会の産物である。封建的共同体の崩壊と産業革命による家族の変質の結果,家族に包摂されてきた女性の生活は不安定になり,他方,自由と平等を説く近代の人間解放思想は,女性に自分のおかれた差別と依存の状態を認識させた。このような社会的・思想的変動のなかで,女性は自分の生き方を模索し,状況の変革を求めるようになる。…
…雑食性もヒトだけの特性ではなかったし,近親婚の回避や,集団間での女性の交換といった項目も人類に固有の特性ではないことが明らかになった。今日,ヒトを人類学的に定義するに際して有効な特性としては,直立二足歩行,音声言語,人間家族の3者をあげるのが適切であろう。直立二足歩行は,霊長目中人類だけに見られる顕著な特性であるが,その解明は人類学上の難問の一つとされ,まだ定説が得られているわけではない。…
…すなわち,中央アジア遊牧民の衣食住は,基本的にすべてその所有物である動物によってまかなわれ,その社会を,南方のオアシス定住社会からは独立した,独自の社会と考えることができる。遊牧 遊牧民の最も小さな社会的単位は一つのテントに同居する家族であるが,これらの家族は,共通の祖先をもつと考えられている他の家族とともに,一つの遊牧集団を形成して,ともに遊牧した。この遊牧集団を構成した家族の数は必ずしも一定せず,数家族の場合もあれば,50家族にものぼる場合もある。…
…近世初期,17世紀前半期においては,高請地を所持し,年貢と夫役とを負担する役負百姓が厳密な意味での百姓であり,これを初期本百姓ともいう。初期本百姓は,検地帳に田畑とともに屋敷を登録され,家族形態は複合大家族(直系親族,半隷属的傍系親族,隷属的非血縁下人などから成る)の形態をとり,大規模農業経営(数町~十数町)を営んでいた。彼らは村落内部の生産,生活,祭祀などの全般にわたって弱小農民に対して優位を保持し,用水,農用林野(肥料,燃料,用材の供給地)を支配し,宮座(みやざ)に列するなどした。…
※「家族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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