クラウディアペヒシュタイン(英語表記)Claudia Pechstein

現代外国人名録2016 の解説

クラウディア ペヒシュタイン
Claudia Pechstein

職業・肩書
スピードスケート選手 リレハンメル五輪・長野五輪・ソルトレークシティ五輪・トリノ五輪金メダリスト

国籍
ドイツ

生年月日
1972年2月22日

出生地
東ドイツベルリン(ドイツ)

経歴
東ドイツで3歳からフィギュアスケートを始め、9歳の時にスピードスケートに転向。1992年アルベールビル五輪女子5000メートル銅メダル、世界選手権総合6位、’93年同9位。’94年リレハンメル五輪の5000メートルで金メダル、3000メートルで銅メダル獲得。’96年世界距離別選手権5000メートルで優勝。’98年長野五輪5000メートルを世界記録で制し、2大会連続金メダル、3000メートルで銀メダルを獲得。2000年世界距離別選手権1500メートル、3000メートルで2冠、世界オールラウンド選手権で初の総合優勝。2002年ソルトレークシティ五輪3000メートルで3分57秒70、5000メートルで6分46秒91の世界記録をマークし金メダル。5000メートルの3連覇は、長距離では初の快挙となった。2006年トリノ五輪は団体追い抜きで金メダル、5000メートルで銀メダルを獲得し、4大会連続で金メダリストに。2007年世界距離別選手権5000メートルで銀メダル、団体追い抜きで銅メダル。2008年世界距離別選手権は団体追い抜きで銅メダルを獲得。2009年7月国際スケート連盟(ISU)は、血液検査数値が同年2月の世界選手権後に異常に変化したことを理由に血液ドーピングをしていたと判断し、2年間の出場停止処分を決定。その後、スポーツ仲裁裁判所(CAS)に異議申し立てをしたが、CASもISUの判断を支持。それでも諦めずスイス連邦裁判所に訴え、W杯出場に関して勝訴。同年12月にW杯ソルトレークシティ大会3000メートルに出場するが、13位。2010年バンクーバー五輪には出場できず、6大会連続出場は叶わなかった。2011年2月競技に復帰し、3月世界距離別選手権の5000メートルと団体追い抜きで銅メダルを獲得した。2012年世界距離別選手権5000メートルで銅メダル、2013年は3000メートルと5000メートルで銅メダル。2014年6度目の五輪出場となったソチ五輪では、3000メートル4位、5000メートル5位、1500メートル19位。2015年世界選手権5000メートルで銅メダル。164センチ、58キロ。五輪では通算9個(金5,銀2,銅2)のメダルを獲得。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

最新 世界スポーツ人名事典 の解説

クラウディア ペヒシュタイン
Claudia Pechstein
スピードスケート

スピードスケート選手 トリノ五輪金メダリスト
生年月日:1972年2月22日
国籍:ドイツ
出生地:ベルリン
経歴:東ドイツで3歳からフィギュアスケートを始め、9歳の時にスピードスケートに転向。1992年アルベールビル五輪女子5000メートル銅メダル、世界選手権総合6位、’93年同9位。’94年リレハンメル五輪の5000メートルで金メダル、3000メートルで銅メダル獲得。’96年世界距離別選手権5000メートルで優勝、世界オールラウンド選手権総合2位。’97年世界オールラウンド選手権総合2位。’97〜98年シーズンのW杯第2戦(ハーマル大会)3000メートルでは4分7秒13の世界記録をマーク。’98年長野五輪5000メートルを世界記録で制し、2大会連続金メダル、3000メートルで銀メダルを獲得。世界オールラウンド選手権総合2位。’99年世界オールラウンド選手権総合2位。2000年世界距離別選手権1500メートル、3000メートルで2冠、世界オールラウンド選手権で初の総合優勝。2001年世界オールラウンド選手権総合2位。2002年ソルトレークシティ五輪3000メートルで3分57秒70、5000メートルで6分46秒91の世界記録をマークし金メダル。5000メートルの3連覇は、長距離では初の快挙となった。2003年、2004年世界オールラウンド選手権総合2位、2005年は総合3位。2006年トリノ五輪は団体パシュートで金メダル、5000メートルで銀メダルを獲得し、4大会連続で金メダリストに。同年の世界オールラウンド選手権は総合2位。2007年世界距離別選手権5000メートルで銀メダル、団体追い抜きで銅メダル。2008年世界距離別選手権は団体追い抜きで銅メダルを獲得。2009年7月国際スケート連盟(ISU)は、血液検査の数値が同年2月の世界選手権後に異常に変化したことを理由に血液ドーピングをしていたと判断し、2年間の出場停止処分を決定。その後、スポーツ仲裁裁判所(CAS)に異議申し立てをしたが、CASもISUの判断を支持。それでも諦めずスイス連邦裁判所に訴え、W杯出場に関して勝訴。同年12月にW杯ソルトレークシティ大会3000メートルに出場するが、13位。2010年バンクーバー五輪には出場できず、6大会連続出場は叶わなかった。2011年2月競技に復帰し、3月の世界距離別選手権は5000メートルと団体追い抜きで銅メダルを獲得した。2012年世界距離別選手権5000メートルで銅メダル、2013年は3000メートルと5000メートルで銅メダル。164センチ、58キロ。

出典 日外アソシエーツ「最新 世界スポーツ人名事典」最新 世界スポーツ人名事典について 情報

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