日本歴史地名大系 「出雲国并隠岐国絵図」の解説
出雲国并隠岐国絵図(正保国絵図)
いずものくにならびにおきのくにえず
一枚 三三七・五×二九一・五センチ(彩色)
成立 正保二年頃
原本 国立公文書館内閣文庫
解説 成立年の記載はないが、記載の形式や内容から幕府の命によって作製された正保国絵図とみられる。出雲・隠岐両国を一枚に収め、俵形で村を示すが、村高の記載はない。主要な街道・航路は朱線で描かれ、国境の峠には隣国の行先の村が記され、主要な湊を結ぶ航路にはその間の里程が記される。絵図の一隅に出雲国一〇郡の郡高と村数の記載があり、合計は二五万三千五九七石六斗五升三合・村数五〇〇、松江藩主「松平出羽守」の名が記される。対角の一隅には隠岐国四郡の郡高と村数の記載があり、合計は一万一千六〇一石三斗九升三合・村数六一。ただし出雲国楯縫郡のように村数一五ヵ村と記されながら、絵図には二一の俵形が記される例もあり、肩に「〇〇ノ内」と記される俵形もあることから、本村以外に枝村的な村名も記されたと考えられる。なお富山市直江利三郎氏所蔵の出雲国絵図は元禄国絵図の写とみられ、内閣文庫には天保国絵図とされる出雲国絵図がある。
複製 「日本古地図大成」
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報