出雲(読み)いずも

精選版 日本国語大辞典 「出雲」の意味・読み・例文・類語

いずも いづも【出雲】

[一] 山陰道八か国の一つ。古代出雲神話の舞台。大化改新により一国となり、意宇(おう)郡に国府が置かれた。鎌倉時代は佐々木氏、戦国時代は尼子氏から毛利氏、江戸時代は堀尾氏、京極氏、佐々木氏を経て松平氏が支配。廃藩置県により、明治四年(一八七一)島根県に編入。雲州。
[二] 出雲国(島根県)北西部の旧郡名。明治二九年(一八九六)簸川(ひかわ)郡に統合された。
[三] 島根県北東部、出雲平野中央部の地名。山陰道の宿場町市場町として発展。繊維工業都市。昭和一六年(一九四一)市制。平成一七年(二〇〇五)、平田市、大社町、湖陵町多伎町佐田町と合併。市域内に出雲大社、一畑寺(一畑薬師)などを抱える。

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デジタル大辞泉 「出雲」の意味・読み・例文・類語

いずも〔いづも〕【出雲】

旧国名の一。現在の島根県東部にあたる。出雲神話の舞台。雲州。
島根県北東部の市。中心部の今市は山陰道の宿場町・市場町として発展した。多様な軽工業が盛ん。平成17年(2005)3月、平田市および簸川ひかわ郡4町と合併、平成23年(2011)10月、斐川町を編入。人口17.1万(2010)。

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改訂新版 世界大百科事典 「出雲」の意味・わかりやすい解説

出雲[市] (いずも)

島根県東部の市。2005年3月旧出雲市,平田(ひらた)市と湖陵(こりよう),佐田(さだ),大社(たいしや),多伎(たき)の4町が合体して成立した。人口14万3796(2010)。11年10月斐川(ひかわ)町を編入。

出雲市中央部の旧市。出雲平野の中心にあり,斐伊(ひい)川の西に位置する商工業都市。1941年簸川(ひかわ)郡今市町と塩冶(えんや),大津,四絡(よつがね),高浜,高松,川跡(かわと),古志(こし),鳶巣(とびす)の各村が合体して出雲町となり,同年市制。人口8万7330(2000)。鎌倉末期に城下町としての塩冶,古志が開け,室町以後新市場町として今市,旧山陰道の宿場町として大津が発達した。周辺は米のほか,ブドウ,野菜の栽培が多く,17世紀の高瀬川開削以後出雲平野の物資集散の一中心ともなった。1910年山陰本線,12年大社線(現,バス路線),14年一畑(いちばた)電鉄も開通し,平田をしのぐ商工業の町となった。大正期に郡是,鐘紡,出雲製織(現,大和紡績)が立地して工業が盛んとなり,きせる,簪(かんざし)などの伝統産業とともに工業生産をのばした。市の南郊には県立自然公園の立久恵(たちくえ)峡(名・天)があり,今市大念寺古墳(史)などの古墳も多い。
執筆者:

出雲市中央部西寄りの旧町。旧簸川郡所属。1969年町制。人口5813(2000)。出雲平野の最西端に位置し,東は旧出雲市に接し,日本海に面する北西部は砂丘地帯を形成する。旧出雲市との境にある神西湖は,古くは神門水海(かんどみずうみ)と呼ばれ現在よりもはるかに大きな湖で,現在の町の中心部と付近の低地はすべて湖底であったが,貞享年間(1684-88)の差海(さしみ)川の開削によって水位が下がり広い新田が開けた。養豚が盛んで,西浜地区の砂丘地には養豚団地が形成されている。砂丘地帯では蔬菜,ブドウの栽培が盛んで,ブドウは島根ブドウとして出荷されている。国道9号線が通じ,神西湖西岸に湖陵温泉がある。

出雲市南部の旧町。旧簸川郡所属。人口4576(2000)。石見高原にあり,神戸(かんど)川の上流域を占める。北は旧出雲市,西は大田市に接する。中心集落の反辺(たんべ)は神戸川と支流波多川の合流点にあり,1932年に出雲今市からの一畑電鉄立久恵線が開通して発展したが,64年の水害で鉄道は廃線となった。かつてはたたら製鉄が盛んで,現在もたたら跡や鉄穴流(かんなながし)跡などが残る。山地が広く,林業が盛んで,シイタケ栽培,酪農も行われる。須佐神社は《出雲国風土記》に記載されている古社で,毎年8月15日に念仏踊が奉納される。
執筆者:

出雲市北西端の旧町。旧簸川郡所属。島根半島西端から大社湾岸の砂丘地帯に広がる出雲大社門前町。人口1万6020(2000)。《出雲国風土記》の国引き神話ゆかりの地で,大正時代まで杵築(きづき)とよばれていた。中世,杵築十二郷七浦の中心として栄えた。1645年(正保2)完成の菱根新田,その後の大梶七兵衛による荒木浜の開拓や高瀬川,差海川,十間川の開削で,18世紀には綿作が盛んになり,町は木綿集散地としてもにぎわった。のち,綿は桑に変わり,昭和初年からはブドウ栽培が普及,種なしブドウで〈島根ブドウ〉の名を高めた。1912年国鉄大社線(現,バス路線)が,30年一畑電鉄大社線が開通し,駅前から出雲大社鳥居前に町がのびて旧参道付近は衰えた。大社は5月の例祭,旧暦10月の神在(かみあり)祭,11月の新嘗(にいなめ)祭がにぎわう。大社の西に歌舞伎の創始者出雲のお国の墓があり,国譲り神話で名高い稲佐浜(いなさのはま)は遠浅の砂浜で,海水浴場でもある。町の北西の日御碕(ひのみさき)は日本一高い灯台と天然記念物ウミネコの繁殖地経(ふみ)島で知られ,北の鵜峠(うどう)にはかつて銅やセッコウを産した鉱山があった。
執筆者:

出雲市南西端の旧町。旧簸川郡所属。1969年町制。人口4215(2000)。西は大田市に接し,田儀川,小田川,久村川が北流して日本海に注ぐ。古代から出雲国の最西端に位置する軍事・交通上の要衝で,山陰道の多伎駅や石見国との間の国境を監視する宅伎戍(たきのまもり)が置かれた。海岸沿いにある中心地の口田儀は,近世にたたら製鉄の材料や鉄製品の移入港として発展し,海産物の市が毎月6の日に立った。平地が少なく,ブドウ,イチジクなどの栽培が盛んで,特産のイチジクはジャムや姿煮などに加工される。岩石海岸をなす海岸部では,イワノリ,ウニなどの採取が行われる。山陰本線,国道9号線が通じ,小田温泉(含土類ボウ硝泉,21℃),華蔵(はなくら)温泉(放射能泉,23~24℃)がある。

出雲市北東部の旧町。旧簸川郡所属。1965年町制。人口2万7689(2010)。宍道(しんじ)湖西岸に位置し,北から西,南は旧出雲市に接する。町域の北部は斐伊川の沖積平野で,米作を中心にチューリップなどの花卉栽培,野菜や茶の栽培が盛んである。1984年大量の銅剣が発見された荒神谷遺跡があり,東部には出雲空港がある。湯ノ川温泉(単純泉,25~41℃)や国史跡の出西(しゆつさい)・伊波野(いわの)一里塚があり,JR山陰本線,国道9号線が通じる。
執筆者:

出雲市北端の旧市。島根半島の基部にある。1955年市制。人口2万9006(2000)。北は日本海,南東は宍道湖,南は斐伊川に臨む。かつては宍道湖を走る松江からの船の便があったが,現在は松江市から宍道湖北岸沿いに旧出雲市,旧大社町に至る一畑電鉄が通る。平野部は水害常襲地で,宅地は盛土で高くしている。出雲平野の綿作を背景に近世には市場町として木綿が取引され,18世紀後半には大坂市場で好評を得た。木綿市は毎月3・8の日に開かれる六斎市で,1822年(文政5)には22万反の取引をみた。明治に入って手織木綿は衰退し,生糸生産へ転換した。明治末に開通した山陰本線が平田を通らなかったため,商業機能も今市(旧出雲市)に中心が移った。日本海側には小伊津,十六島(うつぷるい)などの漁村が多く,十六島はノリの産地で知られる。また,中海新産業都市の一部に指定されたことから,企業誘致も進められている。目の薬師で知られる一畑薬師,〈出雲の叡山〉と呼ばれた鰐淵(がくえん)寺がある。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「出雲」の意味・わかりやすい解説

出雲
いずも

旧日本海軍の装甲巡洋艦。日露戦争中,『三笠』など6隻 (2隻沈没) の戦艦とともに,準主力艦として活躍。排水量,主砲,装甲などにおいて戦艦にやや劣るが速力においてまさり,日露戦争後出現した巡洋戦艦の先駆となった。新造当時の主要目は次のとおり。常備排水量 9733t,速力 20.75kn,8インチ (20cm) 砲8,副砲6インチ (15cm) 砲8,魚雷発射管4。同型艦に『磐手』があり,ほぼ同じクラスに『浅間』『常盤』『八雲』『吾妻』がある。『出雲』は 1899年イギリスで竣工。日露戦争当時第2艦隊司令長官上村彦之丞中将の旗艦であり,その後第1次世界大戦には第2特務艦隊旗艦として地中海に遠征。 1932年の上海事変以後中国方面の艦隊旗艦として活躍,45年7月 24日,江田島海岸で爆撃を受け転覆。このクラスは大正から太平洋戦争直前まで練習艦として少尉候補生の練習教育に従事し,遠洋航海で外国人の目にも親しまれた。

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デジタル大辞泉プラス 「出雲」の解説

出雲

プラチナ萬年筆株式会社の万年筆の商品シリーズ名。名称は、同社の創業者、中田俊一が島根県出身であることにちなむ。

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