刀利村(読み)とうりむら

日本歴史地名大系 「刀利村」の解説

刀利村
とうりむら

[現在地名]福光町刀利

立野脇たてのわき村の南西小矢部おやべ川上流奥小矢部おくおやべの刀利谷にあり、下刀利・上刀利・滝谷たきたに下小屋しもごや中河内なかのこうちの五集落からなる。平家落武者の里とされる。天正九年(一五八一)織田信長方の部将佐久間盛政軍と、加賀国河北かほく北袋の御新造きたふくろのごしんぞ(現石川県金沢市)などに砦を構えた当地の一揆大将刀利左衛門(河上左衛門ともいう)・同駒太郎が戦ったという(三州志)。同一二年九月三日佐々成政から三〇〇俵の知行を安堵された小野(宇野)宗右衛門(「佐々成政宛行状」宇野家文書)は当地の土豪とされる。宗右衛門は翌一三年九月二七日には前田利家から加賀河北郡のうち志村内記分一二〇俵を与えられている(「前田利家知行宛行状」同文書)。宗右衛門は初め佐々成政の下で加賀国湯涌ゆわく町口城(現金沢市)の一部を守備、成政が敗れたのち前田利家に仕え上刀利に移り住んだと伝え(福光町史)、その館跡は上刀利にあった(三州志)

元和五年(一六一九)の家高新帳には下刀利村(役家数一五)と刀利ノ内村(役家数一五)がみえ、ともに左次兵衛組に属した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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