日本歴史地名大系 「分部町」の解説 分部町わけべまち 三重県:津市津城下分部町[現在地名]津市東丸之内(ひがしまるのうち)宿屋(しゆくや)町・地頭領(じとうりよう)町の南に続き、岩田(いわた)橋に通ずる町人町。町名は長野氏の一族分部氏にちなむという。分部左京亮光嘉はもと津城主織田信包の家老で、慶長五年(一六〇〇)の津籠城戦では津城主富田信濃守信高に協力し、ともに籠城した。ここに分部光嘉の居館があったとも、元和五年(一六一九)分部光信が近江の大溝(おおみぞ)城(現滋賀県高島町)へ転封後、その遺臣や町人が移り住んだともいうが不明な点が多い。玉置覚書(国訳聿修録)に「分部左京殿と申候は伊勢上野に在城なり(中略)上野の城御割りの後、町人共あまた津へ参り申候、其者共の居申候処を分部町と申し」とある。しかし、それ以前の慶長一〇年の文書(津市史)に分部町の名がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by