家老(読み)カロウ

デジタル大辞泉 「家老」の意味・読み・例文・類語

か‐ろう〔‐ラウ〕【家老】

中世大名家臣うちの最重職。家中を総括する職。また、その者。年寄としより。家老職。
江戸時代藩主を助けて藩政を行った重臣複数で合議輪番制によった。城代家老江戸家老などがある。

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精選版 日本国語大辞典 「家老」の意味・読み・例文・類語

か‐ろう‥ラウ【家老】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 一家の高年者。
    1. [初出の実例]「連枝或臨艾服兮凋枯。臣之余六旬者。可家老」(出典:本朝文粋(1060頃)四・為入道前太政大臣辞職第三表〈大江匡衡〉)
  3. 家中を総括する職。武家の家臣のうちの最重職。また、その者。年寄(としより)。家老職。
    1. [初出の実例]「常陸国にて所領数多給り、此の子孫結城代々の家老となる」(出典:鎌倉大草紙(16C中か))
    2. [その他の文献]〔国語‐晉語八〕
  4. 町家で、家務を総括する手代。
    1. [初出の実例]「御家老(カラウ)藤七殿と名乗り」(出典:浮世草子・風流曲三味線(1706)五)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「家老」の意味・わかりやすい解説

家老
かろう

武家の家臣のうち最重職で、家中を統轄し家政を総理する職。宿老(しゅくろう)、年寄(としより)、老中(ろうじゅう)、執政(しっせい)などともよばれる。本来は家の高年者をさしたが、老練の者がしだいに家政をつかさどるようになったため、職名となり、軽輩をさした若党(わかとう)と対置されるようになった。戦国時代以降、大名がその権力を拡大し、一族や有力国人層などを完全に掌握する過程で、大名の家令(かれい)的存在であった家老が公の政治に関与し、一門や有力な外様(とざま)の家臣を政治の場から遠ざけて、家臣団第一人者としての地位を得た。江戸幕府において、家老に相当する老中が譜代(ふだい)大名のみから任ぜられたのは、以上の背景を物語っている。諸藩では職制の整備にしたがいその職域も分化し、大名の家政を担当する奥(おく)家老、江戸藩邸に駐在する江戸家老などが設置された。近世中後期に家柄の格式が固定すると、特定の門閥のみが任ぜられて弊害も多く、中級家臣から登用された家老が藩政改革を断行した藩も出現するに至った。なお、幕府や諸藩がそれぞれ御三家(ごさんけ)・御三卿(ごさんきょう)、支藩に監督のため派遣した家老を付(つけ)家老という。

[根岸茂夫]

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改訂新版 世界大百科事典 「家老」の意味・わかりやすい解説

家老 (かろう)

室町・江戸時代,武家において家務を総裁する者。武家の家臣中での最高職。年寄,老中,宿老ともいう。家老の呼称は,《鎌倉年代記》や《永享記》にみえるのを早い例とする。室町中期以降,守護大名戦国大名のもとでの職名として多用されるようになった。江戸時代には,大名,旗本の家で用いられたが,幕府では老中,年寄の呼称が使用され,家老とはいわなかった。家老(職)は,多くの場合世襲であったが,かならずしも一家とは限らず数家あるのが一般的であり,ときにその中の第一人者を筆頭家老と呼ぶこともあった。また,国許(くにもと)と江戸屋敷において藩務を主宰する者たちを,それぞれ国許家老,江戸家老と呼んだ。国許家老は,藩主のもとにあって藩政全般を統轄し,藩主が江戸在府のときは,その筆頭者は城代として藩の軍事指揮権をも掌握した。このほか,江戸幕府が直接任じた御三家,三卿らの家老があり,これを付家老(つけがろう)といった。なお,商家において番頭の別称としても使用された。
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百科事典マイペディア 「家老」の意味・わかりやすい解説

家老【かろう】

大名の重臣で家務を総轄する者。江戸時代には制度上の職名となる。徳川家の家老は幕府の老中。各大名も数人から十数人の家老を置き,領地在勤のを国家老,江戸藩邸在勤のを江戸家老と呼んだ。一族・重臣から登用するのが普通。
→関連項目池田騒動梅津政景日記郡上一揆宝暦治水事件

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「家老」の意味・わかりやすい解説

家老
かろう

年寄,宿老,老 (おとな) ともいう。大名の家臣中,藩政を総括した者。室町時代には,宿老とか中老といった。江戸時代には,諸藩では家老数名をおいて藩政を執行し,幕府でも初期には,大久保,石川,酒井,本多,水野,榊原,井伊などの譜代大名が家老として幕政を執行し,やがて年寄,加判,老中などと呼ばれるようになった。3代将軍徳川家光の時代には,大老が家老とも呼ばれて老中の上に位置した。参勤交代に際して,諸藩では城代家老,江戸家老がそれぞれ国元と江戸におかれ用務を果した。家老は重臣か藩主一族につながる者が多かった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「家老」の解説

家老
かろう

大名家の最上級家臣で藩政を総理する最高の職制。戦国大名のもとで家政を主宰する者を老名(おとな)・年寄・家老というようになって職制が確立。江戸時代に入ると,藩によっては年寄・宿老・老(おとな)とも称した。多くは藩主の一族や譜代の重臣から任じられ,数人から十数人でなり,月番合議制によって藩政を執行した。江戸幕府も最初は家老・年寄と称していたが,寛永10年代に老中を設置して,家老の称を廃した。また幕府は,徳川一門の取立に際して付家老をおいて政務を勤めさせた。家康に命じられた名古屋藩の成瀬正成・竹腰正信はその代表例。諸藩では,参勤交代の制度化によって,江戸家老がおかれて国家老と藩政を分掌した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「家老」の解説

家老
かろう

大名の重臣で,家臣団を統率し,事務を総轄する役職
室町中期以降一般化し,江戸時代には藩主を助けて藩政を執行。員数は藩によって異なるが,数名いて合議制をとるのが常態。世襲がふつうであるが,交替制のところもあった。

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普及版 字通 「家老」の読み・字形・画数・意味

【家老】かろう

家臣の長。

字通「家」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の家老の言及

【江戸時代】より

…うわさは火札や捨文,天狗廻状などと並んで民衆レベルの情報伝達手段として今後研究されねばならないが,江戸時代の武士階層を含めて多くの人々が情報に飢えていたことは,内々の情報やうわさを書きとめた〈随筆〉という文学のジャンルが後期に成立したことによっても知られる。
[側近と家老]
 この時代を通じて政策を最終的に決定したのは,出頭人(しゆつとうにん),側用人などと呼ばれた将軍や大名の側近グループであった。側近のなかには女性や僧侶なども広義には含まれるが,側近の本来の機能は日夜君側にあって主君を護衛し,主君とそのもとへ伺候する家臣との間の言葉を取り次ぐことにあった。…

【大老】より

… 3代将軍家光のとき,1638年(寛永15),酒井忠勝土井利勝が任じられたのが最初とされるが,家康の将軍就任以前では,石川数正,酒井忠次,井伊直政など軍事的に有能な大身の武将が徳川家の宿老として内外から重視されていた。家康が将軍となりその政治的権威が高まると,本多正信・正純父子などの側近が武将派を押さえて家老と呼ばれるようになった。これらの2類型が後世の大老の原形と考えられるが,家光が忠勝,利勝を朔日と15日の総出仕の日だけ江戸城に登城させ,大事が起きたときだけ老中と合議するように命じたのは,秀忠の側近の第一人者として権勢をふるった利勝と,秀忠から後見役として自分に付けられた忠勝を,表面上は優遇するように見せながら実は幕政の実権から遠ざけたものと推測される。…

【年寄】より

…本来年齢を重ねた人の意味であるが,転じて組織の中で経験豊富な指導者を意味し,年老,老人,宿老とも書かれ,〈おとな〉と発音される場合もある。室町幕府や江戸幕府,大名家では重臣を年寄,家老老中と称している。また室町時代,江戸時代を通じて宮座,商工業の座,株仲間の重役も年寄と称されており,江戸時代の村落でも庄屋や名主(なぬし)を補佐する役人を村年寄といい,都市の行政単位である町内の行政を担当し,支配機構の末端をになう役人を町(ちよう)年寄と称した。…

※「家老」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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