前小屋城跡(読み)まえごやじようあと

日本歴史地名大系 「前小屋城跡」の解説

前小屋城跡
まえごやじようあと

[現在地名]大宮町泉

久慈川低地に面した比高約二五メートルの台地端に位置し、低地の上岩瀬かみいわせ村・下岩瀬村・根本ねもと村から部垂へたれ村の台地上の集落に至る旧街道の傾斜変換地点にある。「新編常陸国誌」によると最初の築城者は秀郷流藤原氏系那珂氏分流の平沢丹後守通行で、のち佐竹家小場氏五代義忠の弟義広(義澄)が前小屋に分家して居城した。佐竹一族山入氏が本家の家督権を要求して争った佐竹百年の争乱山入の乱のとき、上総介義広は兄小場義忠とともに惣領家佐竹義舜が籠城した大山孫根おおやままごね(現東茨城郡桂村)に参陣、「佐竹大系纂」(佐竹寺蔵)によれば文亀三年(一五〇三)那珂川を渡河して来攻した山入勢と対戦して討死した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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