(1)なんらかの形で分家を持っている家を本家といい,地方によって異なるが,ホンケ,ホンヤ,オモヤ,フトカエ,センゾモトなどの名称で呼ばれている。分家からみて本家は2種類ある。一つは分家者がその家から分家した家であり,いま一つはそうした分家行為なしに契約的に結ばれた本家である。後者は村落生活における必要上,分家がある家に依頼して本家となってもらったものである。同族組織を形成するような著しい上下関係が本家との間に成立していない場合であっても,分家にとって本家は多少とも上位に立つと意識されていることがきわめて多い。経済的にもまた祖先祭祀においても,本家は分家よりも価値あるものを所有していることが多いからである。分家は本家の東側に家を建てないなど意識的に,また無意識的にこれらの位置が社会生活上にあらわれる。しかしながら分家との差をさほど強調しない本家もあり,それはとくに西日本に多くみられる。親が次・三男以下の子女をつれて分家する隠居分家の制度や,両親の祖先(位牌)祭祀を本家と分家で分割する分牌祭祀,選定相続などを行っている地域ではとくにその傾向が強い。これは本家が分家よりも卓越する価値あるものを持たぬからである。
分家に対して本家は日常生活における援助のほかにさまざまな役割を果たす。分家の家族の結婚式の仲人(なこうど),葬式の主宰者,分家の村入りの仲介者などである。このように分家の生活にとって本家はきわめて重要な意味をもっていたのである。
→分家
執筆者:上野 和男(2)中世に荘園を領主・領家から寄進を受けて,それらの上に位置した名義上の所有者をさす歴史用語。寄進を受ける際一定の得分権(収益権)が認められていたので,本家職ともいわれる。平安時代後期,在地領主層は開発所領(私領)を他の権力(国衙など)から守るために,彼らより有力な貴族を領家と仰いで寄進し,荘園化した。なお不安定なとき,領家はさらに上級の権門勢家・寺社を本家と仰ぎ寄進した。したがって本家は院宮家,摂関家など最上級の貴族に求められることが多い。例えば,但馬国温泉荘(ゆのしよう)はもと公領の温泉郷であったが,開発領主平季広が私領主権を阿闍梨大法師聖顕に寄進した。しかし,支配に不安を感じた聖顕は,さらに後白河法皇の御願寺である蓮華王院(三十三間堂)に寄進して本家と仰ぐことにし,ここに蓮華王院領温泉荘が成立するのである。なお,本家を本所と同じと考え,領家との関係で本家ともいったとする見解もあるが,名義上の荘園領主を本家といい,現実に荘務権(現実の荘園支配の実権)を有している荘園領主を本所とする見解が有力である。
執筆者:木村 茂光
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(1)荘園(しょうえん)制で、領主・領家の上に位置する寺社や権門勢家など、その荘園の名義上の所有者。本所(ほんじょ)ともいう。
(2)一族・一家などの中心となる家。分知や財産分与などにより分家を創出する。
[編集部]
分家に対し,それを分出した家をさす。東北地方の同族型村落の場合,本家は日常的な援助や冠婚葬祭の役割などにおいて,分家に対し圧倒的優位を示すだけでなく,単数また複数の本家を頂点に,分家・孫分家の同族の階層的秩序で,村落運営も独占的につかさどってきた。田畑山林・家屋敷も広く,旧家としての高い家格と家柄を保った。また,同族本来の系譜を重視した本家・分家関係のほか,頼み本家などと称し,転住者もこれらの分家となったが,これは親方・子方関係や地主・小作関係が複雑に合致していたことなどによる。これに対し西南日本や海村部の村落では,本家といっても,分家に対し卓越した地位を保っているわけではない。これは隠居分家制や選定相続・分牌(ぶんぱい)祭祀といった親族構造の相違に起因する。
荘園領主のうち,領家の上位におかれた権門勢家。平安中期までの国免荘(こくめんのしょう)は,国司の代替りに際し荘号を否定される場合が少なくなかった。そのため平安後期には,国免荘の領家であった中流の貴族や官人は,競って上級権力者に国免荘を再寄進して権益の保護を求めた。その保護者が本家で,多くの場合は院や摂関家であったので,院領荘園(天皇家領荘園)や摂関家領荘園が形成された。その結果,中世の荘園には,本家・領家・荘官という重層的な職(しき)の体系が成立した。荘務権の所在は,本家と領家のどちらかに限定されず,荘務権をもつほうが本所(ほんじょ)とよばれた。
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…生みのオヤが有力な家の家長やその妻やアトトリにオヤとなってもらって,無力な家に生まれた子がそのコ(子分)となる社会的事実は,ムラやマチの慣習や儀礼におけるオヤコナリ(親子成り)の仕方に見いだされた。家の内では家長と家の成員の関係としてのオヤコに,子方・子分・子供衆(商家の住込み子飼いの丁稚(でつち))もまた子と同様にコとして含まれる点に注目すべきで,家の拡大展開による本家・分家(親族分家と非親族分家=奉公人分家,別家ともいう)の関係においてもこの原則はあった。本家・分家間の同族の関係は,明治の民法以来,法律上本家・分家とされたものとは違って,親子や養親・養子,また嫁・婿の範囲に限定されず,同族関係とオヤコ関係(親分・子分関係)が合致していたのが原型であり,のちに両者が分化された。…
…平安中期以降,公家社会の階層分化がしだいに進み,さらに摂関家以下の家格・家職が形成されるにともない,それぞれの所領の形態も多様化した。中世の摂関家(摂家)の所領は,摂関職,氏長者の地位とともに各家の間を伝領される膨大な〈渡領〉と,各家固有の〈家領〉とに分かれるが,その家領も主要部分は,本家として一定の得分を収取する所領と,本所として荘務を進退する所領とから成り,皇室領をはじめ,他家の所領の下級所職を知行することはない。これに対し摂関家に次ぐ上級公家の場合その所領は上皇領,女院領等の領家職あるいは預所職等の知行が重要な要素となっており,中・下級公家では摂関家領その他上級公家領の所職を,奉仕に対する俸禄的な意味で知行するものが,家領の重要な部分を占めている。…
…本家とその親族分家や奉公人分家,また直接分家だけでなく間接分家(分家の分家,すなわち孫分家とか又分家と呼ばれた家)をも含む組織集団。農山漁村社会でマキ,マケ,マツイ,カブウチ,イッケ,クルワなどとも呼ばれ,商人社会ではノーレンウチなどとも呼ばれた。…
…古代末期~中世の荘園領主の呼称。(1)下司(げし),公文(くもん)などの荘官と区別された荘園領主一般をさし,本家,本所などと同義的に用いられた。例えば,《御成敗式目》第6条の〈国司領家の成敗,関東御口入(おんくにゆう)に及ばざる事〉という規定は,鎌倉幕府の支配地域以外の領域を,国司と領家に代表させているが,この場合の領家は,国司=国衙領(公領)との対比から,荘園領主一般を意味していたと考えるべきである。…
※「本家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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