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勘十郎堀(読み)かんじゅうろうぼり

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

勘十郎堀
かんじゅうろうぼり

茨城県中部,涸沼 (ひぬま) 南西岸から北浦へ流れる巴川へ通じていた運河。那珂川口-涸沼-北浦-利根川-江戸川-江戸の内陸水路を開くため,水戸藩士松波勘十郎によって,宝永4 (1707) ~5年に造られた。涸沼南西岸から巴川の海老沢河岸を経て,南西方向に巴村紅葉まで約 8kmの堀運河であったが,巴川の水面より高いのであまり利用されなかった。現在堀跡は水田として残っている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典内の勘十郎堀の言及

【茨城[県]】より

…とりわけ利根川系の河川・湖沼の果たす役割が大きかった。宝永年間(1704‐11),独立した河川系統である那珂川を利根川系に運河で連絡しようと涸(ひ)沼(那珂川系)と巴(ともえ)川(利根川系)を結ぶ勘十郎堀(紅葉(もみじ)運河)が水戸藩によって計画されたが,失敗に帰した史実もある。水戸街道(国道6号線),日光街道(国道4号線)は,東北地方と江戸との文化交流のルートではあったが,多くの貨物を運ぶ動脈とはなりえず,1870年代末に利根川系の河川・湖沼に外輪蒸気船が就航すると,水運がさらに重要になった。…

【鹿島灘】より

…日本~北アメリカ太平洋岸間の大圏航路の通過水域にあたり,航行船舶が多いが,江戸時代には東廻海運の難所として知られた。そのため那珂湊―涸(ひ)沼―北浦―利根川を介して江戸に達する内陸水路の利用(一部に陸路並存)が行われ,水戸藩による紅葉(もみじ)運河(勘十郎堀)の開削もなされたが,未完成に終わっている。沿岸は鹿島浦とよばれる砂浜海岸,陸棚は日本海溝に接し,地震源としても有名。…

【松波勘十郎】より

…このほか時期は定かでないが加納藩にも招かれている。06年(宝永3)からは水戸藩にかかわり,他の諸藩で行った諸政策のほかに涸沼(ひぬま)から巴(ともえ)川の間を水路化(勘十郎堀)し,奥州・江戸間の商品流通を促進しながら藩益をあげようとするなど,大がかりな改革を展開したが,09年反対する領民の江戸出訴で京都に追放され,改革は停止された。その後ひそかに江戸に戻ったところを捕らえられ,水戸の赤沼の獄で2人の子とともに獄死した。…

※「勘十郎堀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

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