勝見庸太郎(読み)カツミ ヨウタロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「勝見庸太郎」の解説

勝見 庸太郎
カツミ ヨウタロウ


職業
映画監督 俳優

別名
号=黙笑

生年月日
明治26年 9月11日

出身地
東京・下谷

経歴
東京俳優養成所に学んだのち、新劇社、黒猫社、芸術座に籍をおき、新劇俳優として舞台で活躍。大正9年松竹キネマに入社、「鉱山の秘密」に主役で初出演した。映画劇の新生面を開こうと努め、勝見黙笑の筆名脚本なども手がけた。また主演した「清水次郎長」や「雁の群」は、時代劇の先駆的な作品として知られる。のち監督もつとめ、「郷土」「赤と白」などの作品があり、いずれも主演している。15年には弟とともに勝見プロダグションを設立、「馬子日記」「血の船」などを発表。戦後新東宝の映画に出演した。

没年月日
昭和37年 9月1日 (1962年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「勝見庸太郎」の解説

勝見 庸太郎
カツミ ヨウタロウ

大正・昭和期の映画監督,俳優



生年
明治26(1893)年9月11日

没年
昭和37(1962)年9月1日

出身地
東京・下谷

別名
号=黙笑

経歴
東京俳優養成所に学んだのち、新劇社、黒猫社、芸術座に籍をおき、新劇俳優として舞台で活躍。大正9年松竹キネマに入社、「鉱山の秘密」に主役で初出演した。映画劇の新生面を開こうと努め、勝見黙笑の筆名で脚本なども手がけた。また主演した「清水次郎長」や「雁の群」は、時代劇の先駆的な作品として知られる。のち監督もつとめ、「郷土」「赤と白」などの作品があり、いずれも主演している。15年には弟とともに勝見プロダグションを設立、「馬子日記」「血の船」などを発表。戦後は新東宝の映画に出演した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の勝見庸太郎の言及

【活劇映画】より

…20年代に入って,ダグラス・フェアバンクス主演《奇傑ゾロ》(1920),《三銃士》(1921),《ロビン・フッド》(1922)がさらに決定的に活劇熱をあおり,模倣作品を続出させた。 当時の活劇スターとして,尾上松之助に次いで,島津保次郎監督《堅き握手》(1922)や牛原虚彦監督《狼の群》(1923)などの勝見庸太郎,日本版《奇傑ゾロ》といえる《抜討権八神出鬼没》(1924)などの市川百々之助,同じく《奇傑ゾロ》の模倣作《怪傑鷹》や《争闘》(ともに1924)で〈鳥人〉の異名をとった高木新平がいる。こうして23年から24年ころにかけて,活劇という映画形式は定着した。…

【日本映画】より

…(1)阪東妻三郎(1925‐36。京都太秦蜂ヶ岡,千葉県谷津海岸)(2)五月信子(1925‐45)(3)実川延松(えんしよう)(1925‐?)(4)勝見庸太郎(1926‐31)(5)片岡松燕(1926‐27)(6)市川右太衛門(1927‐36。奈良あやめ池)(7)高木新平(1927‐27。…

※「勝見庸太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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