勧修寺教秀の娘(読み)かじゅうじ・のりひでのむすめ

朝日日本歴史人物事典 「勧修寺教秀の娘」の解説

勧修寺教秀の娘

生年生没年不詳
室町時代公家女性。夫の内大臣三条西実隆は当時の代表的文化人。後奈良天皇の生母豊楽門院の姉。文明10(1478)年,実隆との結婚に際し父教秀から播磨国穴無郷(姫路市)を割分として受ける。墓は京都嵯峨野二尊院に夫と並ぶ。<参考文献>『実隆公記』,芳賀幸四郎『三条西実隆』

(大石雅章)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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