朝日日本歴史人物事典 「勧修寺教秀の娘」の解説
勧修寺教秀の娘
室町時代の公家の女性。夫の内大臣三条西実隆は当時の代表的文化人。後奈良天皇の生母豊楽門院の姉。文明10(1478)年,実隆との結婚に際し父教秀から播磨国穴無郷(姫路市)を割分として受ける。墓は京都嵯峨野二尊院に夫と並ぶ。<参考文献>『実隆公記』,芳賀幸四郎『三条西実隆』
(大石雅章)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...