朝日日本歴史人物事典 「勧修寺教秀の娘」の解説
勧修寺教秀の娘
室町時代の公家の女性。夫の内大臣三条西実隆は当時の代表的文化人。後奈良天皇の生母豊楽門院の姉。文明10(1478)年,実隆との結婚に際し父教秀から播磨国穴無郷(姫路市)を割分として受ける。墓は京都嵯峨野二尊院に夫と並ぶ。<参考文献>『実隆公記』,芳賀幸四郎『三条西実隆』
(大石雅章)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新