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三条西実隆 さんじょうにし さねたか

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美術人名辞典の解説

三条西実隆

室町後期の公卿・歌人。内大臣公保の次男。初名は公世・公延、法名は尭空、逍遥院と号する。正二位内大臣に至る。和漢の学に通じ、一条兼良と共に室町後期の文教を支えた。天文6年(1537)歿、83才。

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デジタル大辞泉の解説

さんじょうにし‐さねたか〔サンデウにし‐〕【三条西実隆】

[1455~1537]室町後期の公家・歌人。内大臣に至る。号、聴雪、出家して逍遥院尭空。飛鳥井雅親(あすかいまさちか)に和歌を学び、飯尾宗祇から古今伝授を受け、古典の普及に努めた。また、能書家としても知られる。著「源氏物語細流抄」、歌集「雪玉集」、日記「実隆公記」など。

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百科事典マイペディアの解説

三条西実隆【さんじょうにしさねたか】

室町後期の公家,古典学者,歌人。公保の子。内大臣にのぼり,のち出家,尭空と号す。飛鳥井雅親に和歌を学び,飯尾宗祇から古今伝授を受けて,子の公条(きんえだ)に伝え,一条兼良没後,和歌,書道,香道,有職(ゆうそく)など多方面で堂上知識階級の権威となる。
→関連項目紹巴肖柏

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

三条西実隆 さんじょうにし-さねたか

1455-1537 室町-戦国時代の公卿(くぎょう),和学者。
享徳4年4月25日生まれ。三条西公保(きんやす)の次男。文亀(ぶんき)2年正二位,永正(えいしょう)3年内大臣にすすみ,13年出家。飛鳥井雅親(あすかい-まさちか)に和歌をまなび,宗祇(そうぎ)から古今伝授を,一条兼良(かねよし)から古典学をうけ,中世和学の興隆につくした。天文(てんぶん)6年10月3日死去。83歳。初名は公世,のち公延。号は聴雪,逃隠子。法号は逍遥院。法名は尭空。家集に「雪玉集」,日記に「実隆公記」。
【格言など】花も木もみどりに霞む庭の面(も)にむらむら白き有明の月(「雪玉集」)

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世界大百科事典 第2版の解説

さんじょうにしさねたか【三条西実隆】

1455‐1537(康正1‐天文6)
室町時代後期の公卿,学者。公保の子。号は聴雪,非隠子。皇室が衰微し公家政治も解体にした時代に,後花園,後土御門,後柏原3朝に歴仕し,各天皇の信任をうけて皇室経済の復興に努力し,1506年(永正3)従二位,内大臣にいたったが,この年辞任。16年出家。法名尭空。道号耕隠,逍遥院と号する。 学者としての功績の第1は,一条兼良(かねら)のあとをうけて中世和学の発達を推進したことである。実隆は有職故実(ゆうそくこじつ)に精通して朝儀の保存につとめる一方,応仁・文明の乱(1467‐77)で散失した和漢の書物の収集や書写にも努力した。

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大辞林 第三版の解説

さんじょうにしさねたか【三条西実隆】

1455~1537) 室町後期の公家。内大臣に至る。出家して逍遥院尭空,また聴雪とも号す。飛鳥井雅親に和歌を学び,飯尾宗祇から古今伝授を受け,連歌・書道・有職故実など和漢の学に通じた。歌集「再昌草」「雪玉集」「聴雪集」,日記「実隆公記」がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

三条西実隆
さんじょうにしさねたか

[生]享徳4(1455).閏4.25. 京都
[没]天文6(1537).10.3. 京都
室町時代の文学者,歌人。内大臣三条西公保の次男。幼名,公世,公延。号,聴雪,逃虚子。法名,逍遙院,堯空。永正3 (1506) 年に内大臣をやめるまで,後花園,後土御門,後柏原の3代の天皇に仕える一方,学者,歌人として活動して名声を得た。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

三条西実隆
さんじょうにしさねたか
(1455―1537)

室町後期の公卿(くぎょう)、学者。三条西家は正親町(おおぎまち)三条家の庶流。父は公保(きんやす)、母は甘露寺親長(かんろじちかなが)の姉。1460年(寛正1)公保の死没により6歳で三条西家の当主となる。応仁(おうにん)の乱が起こった1467年(応仁1)は13歳のときで、実隆と母は鞍馬寺(くらまでら)の坊に難を避け、母はそこで病没する。後花園(ごはなぞの)、後土御門(ごつちみかど)、後柏原(ごかしわばら)、後奈良(ごなら)の4代にわたる天皇に仕え、とくに後柏原天皇の信任厚く、1506年(永正3)に内大臣に任ぜられる。足利義稙(あしかがよしたね)が将軍職についた1508年から、実隆は義稙政権を支持し、朝廷と幕府のパイプ役を務める。このため1509年から1512年まで、毎年の正月に義稙臣下の大内義興(よしおき)や細川高国(たかくに)の来賀を受けている。1516年廬山寺(ろざんじ)において落飾し、法名堯空(ぎょうくう)、逍遙院(しょうよういん)と号する。1520年に至って、高国が家督をめぐる澄元(すみもと)との抗争に敗れ近江(おうみ)へ敗走すると、それまで親しくしていた高国との関係が薄れ、さらに高国と将軍義稙との不和に遭遇すると、武家社会に対する失望から実隆の現実政治への関心は急速に冷却していき、以前からの学問・文芸の生活に立ち戻っていった。
 実隆は一条兼良(いちじょうかねら)やその子冬良(ふゆら)とともに学才・歌才の誉れ高く、飯尾宗祇(いいおそうぎ)から古今伝授を受けたほか、『源氏物語』『伊勢(いせ)物語』の権威であった。また当代一流の能書家としても知られ、地方大名などの求めに応じ揮毫(きごう)した。彼の書は富商武野紹鴎(たけのじょうおう)からの援助とともに、貧しい三条西家の経済を支える収入源でもあった。著書に『詠歌大概抄(たいがいしょう)』『源氏物語細流抄』、有職(ゆうそく)に関する『装束抄』、日記に『実隆公記』、歌集に『雪玉集(せつぎょくしゅう)』『聴雪集(ちょうせつしゅう)』、歌日記に『再昌草(さいしょうそう)』などがある。[新井孝重]

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世界大百科事典内の三条西実隆の言及

【源氏物語】より

…室町時代には,一条兼良の《花鳥余情》は鑑賞や語法面に新機軸を開き,宗祇およびその周辺の連歌師たちもそれぞれ業績を残している。三条西実隆はこのころの代表的な文化人であるが,肖柏の講釈をまとめた《弄花(ろうか)抄》のほか,《細流(さいりゆう)抄》《源氏物語系図》(いわゆる新系図)を作った。その子孫が公条(きんえだ)―実澄(さねずみ)(実枝)―実条であり,彼らの手で《明星抄》《山下水(やましたみず)》が成った。…

【香道】より


[香道の成立と沿革]
 香道の成立については享保(1716‐36)ころの大枝流芳(おおえだりゆうほう)(岩田漱芳)以来南北朝の婆娑羅(ばさら)大名佐々木道誉を始祖とする説があるが(《読史備要》),道誉は香木に執心した収集者ではあっても,その香は闘香であり香道ではない。香道家は流派を問わず三条西実隆(尭空)を始祖と仰いでいる。三条西内府が御香所預を歴任したため御所における香の権威と目され,また宗祇,牡丹花肖柏(ぼたんかしようはく),相阿弥(そうあみ),武野紹鷗(たけのじようおう)ら当代の文化人との交遊で中心的な碩学として都鄙に声望高かったためであろう。…

【古今伝受(古今伝授)】より

…常縁はこれを連歌師の飯尾宗祇に相伝し,以後この系統が古今伝受の正当とみなされ尊重されてゆく。この後,宗祇はこれを三条西実隆,近衛尚通(ひさみち),牡丹花肖柏などに相伝し,ここで古今伝受は三流に分かれる。すなわち,実隆と尚通に相伝された古今伝受は,そのまま三条西家,近衛家において受け継がれ家の秘伝となり,肖柏に相伝された古今伝受は,宗訊,宗珀など連歌師に伝えられ堺伝受,奈良伝受となっていった。…

【御料所奉行】より

…室町時代中後期,禁裏(皇室)御領を管理するために朝廷内に置かれた役人。1436年(永享8)に三条実量が任命されたのを初見とし,98年(明応7)には三条実望が任ぜられ,1502年(文亀2)ごろの勧修寺(かじゆうじ)政顕,13年(永正10)までその職にあった広橋守光,守光に代わって任ぜられた三条西実隆,61年(永禄4)ごろの三条西公条などが知られている。これらの人々はいずれも幕府,武家との強い関係をもっている。…

【細流抄】より

…《公条(きんえだ)聞書》《三条西家抄》とも呼ばれた。三条西実隆(さねたか)の《源氏物語》の講釈を,その子公条がまとめたもの。畠山義総の求めに応じて編まれ,1528年(大永8)に成る。…

【実隆公記】より

…室町時代の公家三条西実隆の日記。1474‐1536年(文明6‐天文5)の62年間の記載がある。…

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