北上興野(読み)きたかみごや

日本歴史地名大系 「北上興野」の解説

北上興野
きたかみごや

[現在地名]新津市北上一―三丁目・北上

能代のうだい川左岸の自然堤防上に位置し、南はしも興野。元和九年(一六二三)に新発田藩主溝口宣勝が発給した北上興野新田開発免状(加藤家文書)に「新津の中北上興野新田の事、年貢米無諸役三ケ年中令免許訖、成次第可致開作者也」とあり、川口かわぐち新田の加藤藤七郎が当村の新田を開墾している。正保国絵図には北上興野村とあり、寛文四年(一六六四)郷村高辻帳には北上興野一六八石とある。同七年と推定される御領内見分之書付(貴船家文書)には家数四三・人数三一七とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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