日本歴史地名大系 「新津市」の解説 新津市にいつし 面積:七七・九九平方キロ県の中央北部、越後平野の中央部に位置する。市の東・西・北は阿賀野川・信濃川と両川を結ぶ小阿賀野(こあがの)川に囲まれ、中央部を能代(のうだい)川が北流して小阿賀野川に注ぐ。市域の大部分は信濃・阿賀野両河川が形成した沖積平野であるが、南東部には魚沼丘陵の北端にあたる標高九〇メートル前後の新津丘陵が連なる。東は阿賀野川を隔てて北蒲原(きたかんばら)郡京(きよう)ヶ瀬(せ)村・水原(すいばら)町・安田(やすだ)町、南は五泉市・中蒲原郡小須戸(こすど)町に接し、西は信濃川を隔てて白根(しろね)市、北は小阿賀野川を境に新潟市・中蒲原郡横越(よこごし)村に接する。市の中央部を信越本線が縦貫して新津駅で羽越本線・磐越西線を分岐し、信越本線に並行して国道四〇三号が走る。「吾妻鏡」建仁元年(一二〇一)三月四日条に「去月廿二日、城四郎長茂并伴類新津四郎已下、於吉野奥被誅畢」とあるのが新津の初見である。〔原始・古代〕縄文時代の遺跡は新津丘陵西麓の程島(ほどじま)・東島(ひがしじま)・古津(ふるつ)と東麓の小口(こぐち)に分布する。小口の平(たいら)遺跡は縄文中・後期の集落跡で、円形の竪穴住居跡が二棟発掘された。また古津の舟戸(ふなと)遺跡からは五世紀頃の土師器が、古津駅前遺跡からは古墳時代のものとされる土師器の壺形土器などが出土した。「延喜式」神名帳に蒲原郡一三座として旦飯野(あさいの)神社があり、現朝日(あさひ)の旦飯野神社に比定する説があるが、詳細は不明。「和名抄」に記載された蒲原郡日置(ひおき)郷には金津(かなづ)・古津方面も含まれていたと推定されている。秋葉(あきば)山の北東側斜面には奈良時代末から平安初期に築かれたと推定される七本松(しちほんまつ)窯跡群があり、須恵器を出土した。〔中世〕「義経記」に金津の名があり、遮那王(牛若丸)が吉次の奥州物語を聞いて「わが身は越後国にうち越え、鵜川、佐橋、金津、奥山の勢を催して」都へ攻め上ることを思いたったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by