北下砂村(読み)きたしもずなむら

日本歴史地名大系 「北下砂村」の解説

北下砂村
きたしもずなむら

[現在地名]吉見町北下砂

今泉いまいずみ村の南に位置し、東は須戸野谷すどのや新田、西は中新井なかあらい村。地内に暦応二年(一三三九)の名号板碑、延文二年(一三五七)の阿弥陀一尊板碑がある。古くは南接する丸貫まるぬき村、同村のさらに南の古名こみよう村と一村で下砂村と称していた。小田原衆所領役帳には松山衆の狩野介の所領のうちに吉見郡「下須奈」二〇貫文がみえ、弘治元年(一五五五)検地が行われている。田園簿によると下砂村の田高三四六石余・畑高一五二石余(ただし総高とは合わない)、日損水損場との注記がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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