北友之郷(読み)きたとものごう

日本歴史地名大系 「北友之郷」の解説

北友之郷
きたとものごう

[現在地名]足利市福居町ふくいちよう

渡良瀬川南岸の平地に位置し、北は朝倉あさくら村。慶安郷帳では「天王村」とみえる。永享四年(一四三二)五月九日の大勧進昌珍等作事用途下行状(鑁阿寺文書)に「友郷」とみえ、現在の福居町付近に比定される。元和三年(一六一七)八木宿やぎしゆく村を間に南・北の友之郷が成立したという(地誌取調)。慶安郷帳では旗本阿部領、寛文元年(一六六一)には上野館林藩領、天和二年(一六八二)旗本米津・池田などの相給となる(分郷配当帳)。元禄郷帳では旗本富田領で、幕末に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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