北大宝村(読み)きただいほうむら

日本歴史地名大系 「北大宝村」の解説

北大宝村
きただいほうむら

[現在地名]下妻市北大宝

台地上にあり、北は若柳わかやなぎ村。中世下妻庄に属し、室町中期以降は多賀谷氏の支配下にあった。慶長七年(一六〇二)天領となり、土井利益(のち古河藩主)領を経て(寛文朱印留)、再び天領・旗本領となる。元禄郷帳の村高は四六〇石余、幕末は天領二三石余、旗本飯田・永井各氏領各一一三石余、秋山・阿部各氏領各一一四石余、城廻しろめぐり多宝たほう院領三八石余、延命えんめい院除地一石余(各村旧高簿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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