北富田村(読み)きたとみだむら

日本歴史地名大系 「北富田村」の解説

北富田村
きたとみだむら

[現在地名]大網白里町富田

経田きようでん村の北東に位置する。南部を小中こなか川が南東流し、並行して土気とけ往還が通る。元禄五年(一六九二)に南・北の富田村に分れたとされるが(上総国町村誌)、江戸時代後期まで富田村一村として扱われる場合が多い。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に藤田村(誤記か)みえ、高四九二石。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳では富田組に富田がみえ、旗本榊原(二氏)領・佐倉藩領。元禄郷帳でも富田村一村で、高五〇五石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本の株式の水準を示す、東京証券取引所第1部225銘柄の平均株価。単位は円。構成銘柄は時価総額の分布の変化などにより、適宜入れ替えられている。現在の形になったのは1985年5月からである。ダウ・ジョー...

日経平均株価の用語解説を読む