北富田村(読み)きたとみだむら

日本歴史地名大系 「北富田村」の解説

北富田村
きたとみだむら

[現在地名]大網白里町富田

経田きようでん村の北東に位置する。南部を小中こなか川が南東流し、並行して土気とけ往還が通る。元禄五年(一六九二)に南・北の富田村に分れたとされるが(上総国町村誌)、江戸時代後期まで富田村一村として扱われる場合が多い。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に藤田村(誤記か)みえ、高四九二石。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳では富田組に富田がみえ、旗本榊原(二氏)領・佐倉藩領。元禄郷帳でも富田村一村で、高五〇五石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本の年中行事。年末に天井や壁にたまった煤を取除き大掃除をすること。近年は正月休みに入る 12月 29日とか 30日が多いが,伝統的には 12月 13日に行なった。この日は正月を迎えるための準備を開始...

煤払いの用語解説を読む