北小川村(読み)きたおがわむら

日本歴史地名大系 「北小川村」の解説

北小川村
きたおがわむら

[現在地名]小川町西北小川にしきたおがわ 納野のうの蛭子えびす町・かめの

小川の宿町を囲むように位置する。建久六年(一一九五)三月日の甲佐社領立券解案(阿蘇家文書)に「八代北郷(中略)北小河 四至東限南小河堺 西限頭無 南限八代庄堺并小河堺 北限守山庄堺」と記され、中世初期の北小川は、南小川とともに八代北やつしろきた郷の内にあり、阿蘇末社甲佐こうさ社の領有であった。これは中世を通して変化はなかった。「四至」をみると、西の境以外は各荘郷が近接し、東と北の境は近世での河江ごうのえ南部田みなみべた・南小川の各村に該当する。西は「頭無」とあるように、八代海を直接望め、すな川河口に位置していたとうかがえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む