西小川村(読み)にしおがわむら

日本歴史地名大系 「西小川村」の解説

西小川村
にしおがわむら

[現在地名]いわき市小川町西小川おがわまちにしおがわ

南流する夏井なつい川右岸にあり、対岸下小川村あい川が東流して合流する。南は赤井あかい村、北は高萩たかはぎ村。古くは現在の小川町全域を含んだ小川村のうちと思われる。貞和四年(一三四八)一〇月八日の小河義雄寄進状(長福寺縁起)に「いわきのこほりにし小川村内、かふら田かわらニはたけ五反」が下小川村長福ちようふく寺の本尊地蔵菩薩に寄進されている。磐前いわさき郡に属した。磐城平藩領から寛永一一年(一六三四)泉藩領、元禄一五年(一七〇二)幕府領、寛保二年(一七四二)以降棚倉藩領。

西小川村
にしおがわむら

[現在地名]丸亀市川西町南かわにしちようみなみ

土器どき川左岸に位置し北西西二にしふた村、東は同川を挟んで東小川村(現綾歌郡飯山町)。寛永国絵図では鵜足うた郡小川郷に属し(飯山町の→東小川村、同絵図の坂本さかもと木村きむらも地内に含まれる。寛永一九年(一六四二)の高松藩成立後、小川村が土器川東西に二分されたと推定される。天保九年(一八三八)の御領分明細記では高七六八石余。天保郷帳は東・西合せて小河村一千六九六石余。同九年の家数一七一・人数八〇七、牛六六・馬一五、酒屋一、神社七(「御巡見一件留」十河文書)、嘉永五年(一八五二)の反別七九町余・取米三一〇石余、百姓自林三町五反余、真綿六二匁余(「鵜足郡村々明細」進藤文書)

西小川村
にしおがわむら

[現在地名]小川町西北小川にしきたおがわ 西小川

北小川村の西にある。村の成立は近世に入ってからで、寛永一二年(一六三五)地撫帳が作成されている(「肥後豊後検地諸帳目録」県立図書館蔵)。元禄期(一六八八―一七〇四)諸御郡高人畜浦々船数其外品々有物帳(永青文庫蔵)に西小川とあり、船三・水夫六を記し、「肥集録」では北小川村の小村として記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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