北松代町一丁目(読み)きたまつしろちよういつちようめ

日本歴史地名大系 「北松代町一丁目」の解説

北松代町一丁目
きたまつしろちよういつちようめ

[現在地名]墨田区江東橋こうとうばし四丁目

本所茅場ほんじよかやば町三丁目の東に四ッ目よつめ通を挟んで続く。南はたて川を隔てて人足寄場付耕作場(現江東区)、北は北松代町裏町

深川北松代ふかがわきたまつしろ町一丁目とも称された。もとは西葛西にしかさい領の内で、のちの深川高ふかがわたか(現江東区)の備後福山藩阿部氏蔵屋敷と同所徒士方組屋敷の地にあり、代官伊奈半十郎支配の頃百姓御免の町屋となった。その後年月は定かでないが、明暦(一六五五―五八)頃上地となり、本所清水ほんじよしみず町立跡である当地に代地を与えられ、元地同様に永代売家作御免とされた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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