日本歴史地名大系 「北田尻村」の解説
北田尻村
きたたのしりむら
[現在地名]富合町田尻 田尻
廻江手永に属し、廻江手永略手鑑によると高七三五石九斗余、田四三町三反九畝余・畑三町五反四畝余、竈数三〇・男女一九一であった。「国誌」は碇・段菊・船底・戸崎・北古閑などの小村を記す。肥後領高人畜家数船数調(永青文庫蔵)に「弐艘ハ猟舟、弐艘ハ小舟 水夫数八人」、元禄期(一六八八―一七〇四)の諸御郡高人畜浦々船数其外品々有物帳(同文庫蔵)では船三・水夫八、明治初年の「郡村誌」には西田尻村を含めて荷船三・漁船二とあり、一部漁業も営まれていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報