日本歴史地名大系 「北莇生村」の解説 北莇生村きたあざぶむら 愛知県:西加茂郡三好町北莇生村[現在地名]三好町莇生(あざぶ)現町域の中央部にあり、境(さかい)川に架かる境川橋の東に位置する。新(しん)池・四(よ)ッ池・舟(ふな)ヶ峪(や)池・鷹羽(たかば)ヶ池・摺鉢(すりばち)池・平七(へいしち)池などの九つの溜池がある。貞治三年(一三六四)の上葺勧進帳(猿投神社文書)には「七百五十文 莇生郷村人」とみえる。近世初めは岡崎藩領、慶長五年(一六〇〇)岡崎藩領・幕府領、承応二年(一六五三)幕府領・旗本内藤三之助忠吉領となり、内藤氏領は明治維新まで続く。幕府領のうち一部は万治元年(一六五八)旗本松平但馬守知乗領、一部は延宝八年(一六八〇)旗本内藤伊織忠知領、残りは元禄年間(一六八八―一七〇四)旗本松平伝七郎乗明領となり、いずれも明治維新まで続く。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報