北高柳村(読み)きたたかやなぎむら

日本歴史地名大系 「北高柳村」の解説

北高柳村
きたたかやなぎむら

[現在地名]瀬高町高柳

矢部(やべ)川左岸、瀬高下庄(せたかしものしよう)村の南西にあり、北は同川を挟んで瀬高上庄村、西は上棚町(かみだのまち)村(現三橋町)。近世初期に高柳村が分村して成立。文禄五年(一五九六)には「高柳村北分」のうち五〇石が宇美菊右衛門(房春)に宛行われ(「立花親成知行宛行状」柳河藩史五)、同じく北分のうち一六〇石が新坊に与えられた(「寺社領高覚書」立花家文書)。元和七年(一六二一)の郡村帳には北高柳村とあり、玄蕃高六九八石余・新田高四石余、小物成は山手米六斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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