十ヶ堰
じつかせぎ
現松本市島内の町で奈良井川をせきあげ、下平瀬で梓川を横掘りして横断し(当初は大水が出ると堰筋がこわれた。現在は河床をサイホンで横断)、飯田・中曾根・下鳥羽(以上現豊科町)・中堀・上堀金・下堀金(以上現堀金村)・柏原・保高(以上現穂高町)の諸村を貫流し烏川に落ちる。江戸時代の旧一〇ヵ村の組合堰で全長一二キロ。
吉野・成相町・新田町・上堀金・下堀金・柏原・矢原・保高・保高町・等々力町の一〇ヵ村が組合加入。のちに中堀新田村が加入。この堰の開削功労者は柏原村等々力孫一郎(大庄屋)・中島輪兵衛(元庄屋)・関与一右衛門(庄屋)・下堀金村平倉六郎右衛門・等々力町村白沢民右衛門(庄屋)・吉野村岡村勘兵衛(庄屋)らである。吉野・下堀金・柏原・保高・保高町の諸村には未開発の土地が多かった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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