デジタル大辞泉
「烏川」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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烏川
からすがわ
上信国境の鼻曲山(一六五四メートル)に源を発して東南流し、群馬郡倉淵村・榛名町から高崎市、多野郡新町を抜けて伊勢崎市南部の八斗島で利根川に合流する。一級河川。流路延長六一・八キロ、流域総面積一八〇一平方キロ。支流には上流から榛名川・白川・碓氷川・井野川・神流川などがある。水源は角落火山群の旧火口底といわれ、烏の嘴に似た黒色の岩があることから川名になったと伝える。流域には考古遺跡が連なるように所在する。上流域では倉淵村権田の長井敷石住居跡、水沼の水沼弥生遺跡、中流域では榛名町中里見から下里見にかけて六十数基からなる古墳群が、また同町本郷一帯には本郷的場古墳群があった。やや下った高崎市西部の八幡台地には若田原縄文遺跡・長瀞西古墳・八幡中原遺跡・引間遺跡など、同市南部に鶴辺遺跡・大鶴巻古墳・浅間山古墳、佐波郡玉村町の下郷遺跡・軍配山古墳などが特筆される。
烏川
からすがわ
群馬・長野の県境に位置する鼻曲山(一六五四メートル)に源を発する一級河川。群馬県群馬郡倉淵村・榛名町から同県高崎市・多野郡新町を抜け、上里町北端から埼玉・群馬の県境を東流し、上里町黛地先で神流川を合流、本庄市新井付近で利根川に合流する。流路延長六一・八キロ。水源は角落火山群の旧火口底といわれ、水源に烏の嘴に似た黒い岩があるのが川名の由来と伝える。文明一八年(一四八六)八月、上野国に滞在した聖護院道興は「廻国雑記」に「からす川といへる川に鵜からすなどあひまじはりて侍りけるを見て、又俳諧」と記すとともに、「とりもえぬ魚の心を耻もせてうのまねしたる烏川かな」と詠んでいる。
烏川
からすがわ
常念岳・蝶ヶ岳・大滝山・鍋冠山などから発する諸沢を集めて安曇野に流れ出て烏川扇状地を形成し、中房川と合流するまでをいう。全長一六キロ。中房川と合流してからは穂高川となり、押野崎で犀川と落ち合う。文献上の初見は正保年間(一六四四―四八)国絵図(上田市立博物館蔵)で「からす川」とある。烏川谷は粘板岩から成り、その岩石が中房川・乳川などの花崗岩の白色に対して黒色をなしていることから烏川の名が生れてきたものと思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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烏川
からすがわ
群馬県南西部を流れる川。一級河川。利根川(とねがわ)の支流で、鼻曲山(はなまがりやま)の北東山腹に源を発して榛名(はるな)山の南西麓(ろく)から高崎市の西辺を過ぎ、碓氷川(うすいがわ)、鏑川(かぶらがわ)、神流川(かんながわ)を順次あわせたのち、伊勢崎(いせさき)市の南の埼玉県境で利根川に合流する。延長61.8キロメートル、流域面積は470平方キロメートル。河水は高崎以西で約6平方キロメートルの水田を灌漑(かんがい)している。また、高崎市の上水源の一部をなし、同市上里見町の神山(かみやま)で取水し剣崎(けんざき)で浄水している。鉄道開通前は高崎まで小舟が通じ、倉賀野(くらがの)は重要な河港であった。
[村木定雄]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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烏川
からすがわ
群馬県中西部を流れる川。全長 61.8km。利根川の支流。長野県境にある鼻曲 (はなまがり) 山の東斜面に源を発し,榛名山の南麓を南東に流れ,碓氷川,鏑川,神流川を合せて利根川に注ぐ。下流部は鉄道開通まで,重要な河川交通路で,高崎市倉賀野は利根川水運の終点にあたり,近世までは太平洋岸地域と信州や越後地方との物資交流の拠点であった。河水は流域の灌漑用水や高崎市の上水道に用いられる。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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