十三軒町(読み)じゆうさんげんまち

日本歴史地名大系 「十三軒町」の解説

十三軒町
じゆうさんげんまち

[現在地名]鶴岡市神明町しんめいちよう三和町みわまち本町ほんちよう二丁目

二百人にひやくにん町の南、一日市ひといち町・みなみ町から東へ続く道沿いにある郭外家中・給人屋敷町。初めは二百人町のうちで十三人じゆうさんにん町とよばれたといい、町名は一三人の家中屋敷地があったことによるとされる。寛永一六年(一六三九)しま村内の高を割いて屋敷割が東に延びて若殿(四代忠当)家中に与えられた(大泉掌故)。延宝六年(一六七八)の城下絵図に十三人町二二五間とある。東端ほうがん寺に突き当り、その南を回って黒川道が南へ向かう。同年の御家中仮名付(鶏肋編)では十三間町とみえ、御使番三〇〇石坂部九兵衛・郡奉行一五〇石関甚大夫ら二六名の屋敷があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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