十里村(読み)じゆうりむら

日本歴史地名大系 「十里村」の解説

十里村
じゆうりむら

[現在地名]栗東町十里

北中小路きたなかこうじ村の西、葉山はやま川右岸平地に立地。村名は古代の条里遺称によるものと考えられ、いちつぼ・二ノ坪・三ノ坪・四ノ坪・九ノ坪の坪地名も残る。慶長検地では高六〇六石余(正徳三年「郷村高付帳」中村文書)。元和七年(一六二一)の菅沼定芳領知付(菅沼家譜)に十里村がみえ膳所藩領。以降幕末まで同藩領。寛永石高帳では高五七七石。慶安高辻帳では田五四八石余・畑一二石余・永荒一六石余。安永七年(一七七八)の牛数一〇(竹内文書)


十里村
じゆうりむら

[現在地名]長浜市十里町

列見れつけ村の北に位置し、北は新庄中しんじようなか村。村名は坂田郡条里の四条十里に該当することに由来するとされる。中世福永ふくなが庄のうち。永享七年(一四三五)の「長浜八幡宮勧進猿楽記録」に「十里福永」とあるほか、「神照寺記録」や永正一四年(一五一七)八月日の米布施御影供新寄進帳(神照寺文書)に「十里」とみえる。寛永石高帳によれば高六二〇石余、彦根藩領。元禄二年(一六八九)の新庄福永庄十里村検地帳写(鈴木文書)によれば上々田五町八反余・一一一石余、上田一四町三反余・二五八石余、中田六町六反余・一一三石余、下田一町三反余・一九石余、荒田二畝余・二斗余、上畑四反余・四石余、中畑二畝余・三斗余、下畑一畝余・一斗余、荒畑二畝・三斗余、屋敷八反余・一三石余、木原四歩・四合。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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