葉山(読み)ハヤマ

デジタル大辞泉 「葉山」の意味・読み・例文・類語

はやま【葉山】

神奈川県三浦郡の地名。三浦半島西岸にあり、保養地住宅地御用邸がある。

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精選版 日本国語大辞典 「葉山」の意味・読み・例文・類語

はやま【葉山】

  1. [ 一 ] 神奈川県南東部の地名。三浦半島の西岸にあり、相模湾に面する。明治二七年(一八九四葉山御用邸が設けられてからは、海岸一帯が別荘地として発展。現在は住宅地に変わり、海水浴場ヨットハーバーとしても知られる。
  2. [ 二 ] 江戸時代、大坂新町遊郭の東口にあった油屋。

はやま【葉山・羽山】

  1. 姓氏の一つ。

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日本歴史地名大系 「葉山」の解説

葉山
はやま

寒河江市の北端、村山市・最上郡大蔵おおくら村との境界線上にあり、標高一四六一・七メートル。出羽山地に属し、月山の東方約一七キロの位置にある。成層火山であるが、その後の水蒸気爆発により爆裂火口が生じ、山頂尾根筋は東に開口する馬蹄形山稜をなしている。火口底から富並とみなみ川が源を発し、東流して最上川に注ぐ。古くから信仰の対象とされた山で、近世には葉山権現の諸堂宇・坊が白岩しらいわ村枝郷はた集落の東方約一・四キロにあった。現在は山頂に葉山神社(明治一四年建立)がある。

「三代実録」貞観一二年(八七〇)八月二八日条に、出羽国白磐しらいわ神が従五位下を授与された記事があり、この白磐神が葉山の地主神であるとの説が、寛政四年(一七九二)公刊された「補出羽国風土略記」で主張されて以来、ほぼ定説化している。しかし葉山中興の祖とされる舜誉が元禄二年(一六八九)に校定した葉山古縁起校定(風立寺文書)には、末尾に「往古の縁起、師資相伝口訣等、依為損壊、加接所々愚案」と記されるが、白磐神や従五位下授与のことはいっさい触れられていない。白磐神=葉山地主神説は検討すべき問題を残している。

葉山は当初羽山と称し、大宝二年(七〇二)役小角の弟子行玄が葉山に入峰修行して地主権現を拝し、山腹に社殿を建立したという(前掲古縁起校定)。葉山の地主神は農耕と水利をつかさどる農業神として崇敬されてきた。例年旧暦六月一日の苗代祭には葉山権現別当大円だいえん院に詣でて虫札を受け、それを田の水口に立てて蝗害を除くことを祈念した。また旱魃の年は雨乞の行事が行われ、水利の不便な所には葉山権現の碑が建立された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「葉山」の意味・わかりやすい解説

葉山(町)
はやま

神奈川県南東部、三浦半島相模(さがみ)湾岸、三浦郡にある町。1925年(大正14)町制施行。国道134号、逗葉(ずよう)新道が通じる。地形上は三浦半島をほぼ東西方向に走る大楠(おおくす)山、畠(はたけ)山・二子(ふたご)山両地塁山脈と下山(しもやま)川、森戸(もりと)川の両地溝低地からなり、夏涼・冬暖の湘南(しょうなん)型気候に恵まれている。古代には東海道から三浦半島東部(さらに房総半島)へ通じる交通の要路にあたっていた。1894年(明治27)一色(いっしき)海岸に葉山御用邸(1971年焼失、1981年再建)が設けられてからは、海岸地区を中心に京浜の別荘地として開けた。御用邸付属邸跡地に開園した葉山しおさい公園には、葉山しおさい博物館があり昭和天皇が相模湾で採集した海洋生物の標本が展示されている。隣接して県立葉山公園がある。第二次世界大戦後は、別荘は団体や企業の保養所、京浜方面への通勤者の住宅にかわり、現在は京浜の住宅衛星都市の一つになっている。海岸は出入りが多く砂浜、磯浜(いそはま)の変化に富む景勝地をなし、遠浅の海は海水浴に適し、とくに森戸、一色、長者ヶ崎(ちょうじゃがさき)の海岸がにぎわう。ここの海は魚貝が多種・多量で好釣り場をなす。またわが国のヨットレースの発祥地としても知られ、鐙摺(あぶずり)にはヨットハーバーがあり、南の横須賀(よこすか)市境のかつての宝金山から大楠山にかけたゴルフ場を中心に国際交歓基地になっていて、1994年(平成6)には湘南国際村が開村している。森戸、長柄(ながえ)、山口などには中世初頭に三浦党の拠点となった城館跡があり、鐙摺城跡(旗立(はただて)山)はその戦闘拠点とされ、この付近で新第三紀の本州の造山運動を物語る「鐙摺の不整合」を観察できる。一色の森山神社の世計神事(よはかりしんじ)(豊凶と気候を占う)と湯花神楽(かぐら)は貴重な民俗行事。そのほか、神奈川県立近代美術館葉山館、山口蓬春(ほうしゅん)記念館などもある。面積17.04平方キロメートル、人口3万1665(2020)。

[浅香幸雄]

『『葉山町郷土史』(1975・葉山町)』



葉山(高知県)
はやま

高知県中央部、高岡郡にあった旧村名(葉山村(むら))。現在は津野町(つのちょう)の東部を占める地域。旧葉山村は、1956年(昭和31)下半山(しもはやま)、上半山の2村が合併して成立。2005年(平成17)東津野村と合併して、津野町となった。中央部を新荘(しんじょう)川が東流し、北部の不入(いらず)山脈沿いは仏像構造線が走り断層崖(がい)をみせ、西部は鶴松森(かくしょうもり)の山裾(やますそ)が延び急峻(きゅうしゅん)な布施(ふせ)坂となる。中世、津野氏の本拠地で姫野々(ひめのの)に居城があった。新荘川両岸に河岸段丘がみられるが、耕地率は低い。かつてはコウゾ、クワ栽培が多かったが、現在は茶、コンニャク、ミカンが主要産物となっている。須崎(すさき)市と愛媛県宇和島市を結ぶ国道197号が通り、須崎市の近郊町としての性格が強い。

[正木久仁]

『『葉山村史』(1980・葉山村)』


葉山(山形県)
はやま

山形県中央部、村山市、寒河江市(さがえし)、最上(もがみ)郡大蔵村(おおくらむら)の境界にある山。標高1462メートル。北東に馬蹄(ばてい)形に開く大爆裂火口がある。山頂に葉山神社があり、古来修験道(しゅげんどう)の山として栄え、室町時代末期までは羽黒(はぐろ)山、月山(がっさん)とともに出羽三山(でわさんざん)の一つとされた。東麓(とうろく)に葉山修験の別当大円院がある。

[中川 重]

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改訂新版 世界大百科事典 「葉山」の意味・わかりやすい解説

葉山[町] (はやま)

神奈川県南東部,三浦郡の町。人口3万2766(2010)。三浦半島頸部の西岸にあり,西は相模湾に臨み,屈曲に富む海岸線をもつ。かつては小さな農漁村にすぎなかったが,1880年代後半にドイツ人医師ベルツらによって,避寒避暑の保養地として紹介され,89年の横須賀線開通以後,別荘が続々と建てられた。さらに94年に葉山御用邸が建設され,全国に知られるようになった。第2次大戦後は東京や横浜の通勤住宅地化が著しい。森戸,一色,長者ヶ崎などの海水浴場は首都圏でも有数のにぎわいをみせる。企業の海の家,保養所も多く,近年はリゾートマンションが建ち並ぶ。逗子市に接する鐙摺(あぶずり)は日本のヨットレース発祥地として知られ,ヨットハーバーがあり釣船の基地としてもにぎわう。町の南部,横須賀市にまたがる丘陵部が開発され,湘南国際村が県の企画により生まれている。国際会議場,研究機関,宿泊施設がある。
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葉山(高知) (はやま)

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百科事典マイペディア 「葉山」の意味・わかりやすい解説

葉山[町]【はやま】

神奈川県三浦郡,相模湾に臨む三浦半島北西部の町。古くから鎌倉,逗子とともに湘南の保養地,別荘地として有名だが,近年は京浜地方の住宅地ともなっている。森戸は海水浴場,葉山港は日本のヨット競技の発祥地。2003年,神奈川県立近代美術館葉山館が開館。17.04km2。3万2766人(2010)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「葉山」の意味・わかりやすい解説

葉山
はやま

高知県中部,津野町東部の旧村域。 1956年上半山村と下半山村が合体して葉山村が発足。 2005年東津野村と合体して津野町となる。須崎市と大洲市 (愛媛県) を結ぶ檮原街道 (現在の国道 197号線) 筋に集落が立地。かつてはコウゾの栽培で知られた。新庄川流域の段丘で米,柑橘類,茶を産する。

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世界大百科事典(旧版)内の葉山の言及

【葉山信仰】より

…東北地方南部を中心に分布する作神的性格をもつ信仰。葉山は端山,羽山,麓山などと記されるが,奥山や深山(みやま)に対する里近くの端山を意味する。多くは村はずれの山の上に小祠を設けてまつられ,祭神を羽山祇神,少彦名(すくなびこな)命とし,薬師如来を本地と説く。…

※「葉山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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