日本歴史地名大系 「千万町村」の解説 千万町村ぜまんぢようむら 愛知県:額田郡額田町千万町村[現在地名]額田町千万町東は標高七一九・九メートルの巴(ともえ)山で草谷(そうや)村・長者平(ちようじやたいら)村・須山(すやま)村・北畑(きたはた)村(現南設楽郡作手村)と接する。西は木下(きぐたし)村、南は石原(いしはら)村・亀穴(かめあな)村、北は切山(きりやま)村と各々山で接する。巴山山中に水源をもつ乙(おと)川支流の大栗(おおくり)川渓流沿いに集落が立地し、耕地は鳥の足状に山間の谷に細く食込む。長者平郷(当時宝飯郡)よりの分郷と伝えられる(作手村誌)。中世末期は作手(つくで)郷の奥平氏の支配を受ける。「三河志」によれば、元亀―天正年中(一五七〇―九二)奥平弥六郎領となる。村内に弘治二年(一五五六)の合戦の戦死者を埋葬したと伝える石堂(いしどう)ヶ峯(みね)五輪塔がある。石堂ヶ峯は天正二年の武田勢と奥平貞能父子の戦場でもある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by