山間村(読み)やんまむら

日本歴史地名大系 「山間村」の解説

山間村
やんまむら

[現在地名]住用村山間

いち村の北西方に位置し、集落は住用湾の深い入江に臨む。南にとりヶ峰(四六七・四メートル)があり、ここを水源とする山間川が北流する。「南島雑話」によれば、山間村からひぎや嘉徳かどほ(現瀬戸内町)へ越える坂は難所であるという。住用すむゆう間切のうちで、地内中里なかざと川内こち戸玉とだま持寄もちよりなどの地名がある。「大島私考」に住用間切一五ヵ村のうちとして「山間村」とみえ、高七二石余、うち享保内検後の開地は一石余で、役屋敷と損地があるという。この役屋敷は住用間切の与人屋敷か。文化三年(一八〇六)大島代官本田孫九郎が上申した一八ヵ条(大島要文集)によれば、住用間切の山間湊は二三反帆船を係留する居船場一九ヵ所の一つで、津口横目の船改が行われていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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