宝飯郡(読み)ほいぐん

日本歴史地名大系 「宝飯郡」の解説

宝飯郡
ほいぐん

面積:九二・七九平方キロ
音羽おとわ町・一宮いちのみや町・小坂井こざかい町・御津みと

県の東南部に位置する。本宮ほんぐう山南麓と豊川河岸段丘よりなる一宮町、豊川右岸河口近くに海に南面して小坂井町御津町観音かんのん山・きようヶ峰・五井ごい山・御堂みどう山に囲まれた音羽町よりなる。一宮町は南を豊川市・豊橋市、東から北を新城しんしろ市、北を南設楽みなみしたら作手つくで村、北から西にかけて額田ぬかた額田町、西を豊川市に接する。小坂井町・御津町は南を海に面し、豊橋市・豊川市・蒲郡市に囲まれる。音羽町は東から北・西に豊川市・額田郡額田町・岡崎市・蒲郡市に囲まれる。一宮町は旧八名やな郡の一部を包含している。

郡名の起源は、古代の「穂国」による。穂国は大化前代は東三河を包括する名称であったが、大化後の国郡建置に際して当時三河国といった西三河と合わせて三河国となり、東部は八名郡、南部は渥美郡に分れ、穂国の中心部は郡となり、三河の国府が置かれた。その後和銅六年(七一三)五月、国郡郷名に二字の好字を用うべき令によって宝飫郡ほおのこおりと改められたもので、後に飫を飯に誤り宝飯郡とよまれるようになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報