日本歴史地名大系 「千怒村」の解説 千怒村ちぬむら 大分県:津久見市千怒村[現在地名]津久見市千怒岩屋(いわや)村の東、千怒川流域に位置し、東は日見(ひみ)浦。江戸時代は佐伯藩領津久見村組を構成する一村であった。津久見村の枝郷とされる(享和三年「郷村仮名付帳」佐伯藩政史料)。慶長一三年(一六〇八)毛利高政は「ちん村」の喜兵衛・おとな百姓・小百姓中に対し年貢未進による出奉公を禁じ、また荒地開墾、走百姓の還住、他所他国農民の呼寄せなどを命じている(同年一二月六日「毛利高政触書」戸高家文書など)。元和一〇年(一六二四)には高政は千怒の喜兵衛・与右衛門ならびに百姓中に宛て、他国者へ宿を貸したり、船で送迎することや水主・船頭として雇われることなどを禁じている(同年二月一八日「毛利高政触書」温故知新録)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報