千歳米坡(読み)チトセ ベイハ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「千歳米坡」の解説

千歳 米坡
チトセ ベイハ


職業
女優

生年月日
安政2年 10月

出生地
東京・芝

経歴
米八と名乗って日本橋芸者をしていた。明治24年、伊井蓉峰の男女合同改良演劇済美館の「政美党談淑女の操」に参加し、女優登場の嚆矢となる。依田学海命名で千歳米坡と名乗り、のちに女芝居晩年には寄席にも出演した。政治家光明寺三郎の妻となった時期もあった。

没年月日
大正7年 8月2日 (1918年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

世界大百科事典(旧版)内の千歳米坡の言及

【伊井蓉峰】より

…本名申三郎,東京日本橋に生まれる。1891年浅草の吾妻座で男女合同改良演劇〈済美館(せいびかん)〉の旗揚げをし,千歳米坡(ちとせべいは)という女優を生んで,芸術主義の写実劇をめざした。1902年に近松劇を原作のまま上演して注目され,12年に明治座の座主となり,名実ともに新派界三巨頭(他に河合武雄,喜多村緑郎)の筆頭となった。…

※「千歳米坡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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