朝日日本歴史人物事典 「千観」の解説
千観
生年:延喜18(918)
平安中期の天台宗の僧。橘敏貞の子。浄土教の民衆布教のため『阿弥陀和讃』を作り,応和3(963)年,宮中の清涼殿で行われた南都・北嶺の高僧による応和宗論に選ばれたが,これを固辞したことなどで有名。はじめ運昭に師事して顕密の学を学び,やがて摂津国箕面(大阪府箕面市)に隠遁して学問と往生行に専念し,さらに同国島上(高槻市)金竜寺に移住し,天禄1(970)年,行誉に三部大法を受けた。彼は,念誦読経を怠らぬこと,専ら興法利生,往生極楽を願うべきこと,戒律を護るべきことなど8カ条から成る制戒や『十願発心記』を著し,都鄙の老若男女が愛唱したという上記の『和讃』を作って上下に浄土教を広めたが,自身も往生極楽の夢想を得,没後は,彼を師と仰ぐ権中納言藤原敦忠の娘の夢に現れ,極楽往生の様を示したという。<参考文献>井上光貞『日本浄土教成立史の研究』
(小原仁)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報