日本歴史地名大系 「千路村」の解説 千路村ちじむら 石川県:羽咋市千路村[現在地名]羽咋市千路町柳田(やないだ)村の東に位置し、北西部は眉丈(びじよう)山南麓丘陵、その他は邑知(おうち)潟北縁の低平地に立地。西往来に沿う街村。千々とも書く。応永二四年(一四一七)一〇月八日の気多社務大宮司宛の某家政所下文案(気多大宮司家文書)に「千路村」とみえ、村内定持職のうち三反と在家屋敷などを楊田(やないだ)宮司俊次に安堵している。大永六年(一五二六)一〇月写の気多社年貢米銭納帳(気多神社文書)によると、当村のうち他人知行分の「千路地頭方」「千路尺迦堂分」から年貢銭が納入されている。当時、鬼しい・す崎左近らの有力百姓がいた。天正五年(一五七七)一一月一日の気多社免田指出案(気多大宮司家文書)によると、温井五郎左衛門の支配のもと当地免田から神官方へ八俵・一貫五〇〇文、衆徒方へ二七俵の年貢を納入している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by