南京極町(読み)みなみきようごくちよう

日本歴史地名大系 「南京極町」の解説

南京極町
みなみきようごくちよう

下京区西木屋町通五条下ル

南西へ斜行する西木屋町にしきやまち通に東面する。

平安京の条坊では左京六条四坊三保一三町南側、平安中期以降は六条富小路北東の地。町域は平安時代の左大臣源融の別荘である河原院かわらのいんの一部にあたる(拾芥抄)

寛永以後万治以前京都全図に「京極丁」とあり、宝永二年(一七〇五)洛中洛外絵図に「南京コク丁」とみえる。町名は、京極大路(現寺町通)の南にあたることによる(坊目誌)

「坊目誌」は、宝暦八年(一七五八)以前には当町には乞丐小屋があり、同一一年より遊郭地となったとするが、宝暦一二年刊「京町鑑」は「五条新地」とし、梅林藤介が開発したと記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む