別荘(読み)ベッソウ

デジタル大辞泉 「別荘」の意味・読み・例文・類語

べっ‐そう〔‐サウ〕【別荘】

ふだん生活している家とは別に、避暑避寒休養などの目的気候風景のよい土地につくられた家。
[類語]別宅別邸山荘

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精選版 日本国語大辞典 「別荘」の意味・読み・例文・類語

べっ‐そう‥サウ【別荘】

  1. 〘 名詞 〙
  2. ふだん居住する家から離れて、別につくり設けた家。景勝の地などに、暑さ寒さを避けたり、遊宴などを行なったりするためにつくる別宅。別業。
    1. [初出の実例]「撰勝地搆造之別庄也」(出典:古事談(1212‐15頃)六)
  3. 刑務所をいう、盗人仲間の隠語。〔かくし言葉の字引(1929)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「別荘」の意味・わかりやすい解説

別荘 (べっそう)

日常居住する住宅とは別に,保養,避暑,避寒や自然的な環境のなかでの遊楽などを目的として建てられた住宅で,古くは別業(べつぎよう),別墅(べつしよ),別庄(べつしよう)などとも呼ばれた。別荘を建てる習俗はかなり古くからあり,ローマ帝国や古代中国などの皇帝・貴族がすでに多くの別荘を建てていた。古代ローマではローマ東方の高地にあるティボリ地中海カプリ島ウィラと呼ばれる別荘が営まれ,中国では長安の東にある温泉地驪山(りざん)などが皇帝の別荘地として有名である。日本でも奈良・平安時代に宇治,明石(あかし),水無瀬(みなせ)などの都に近い景勝地に天皇や貴族の別荘が建てられ,当時の物語や詩歌によく現れる。持統天皇がしばしば行幸した吉野山中の〈吉野宮〉も一種の別荘と考えられる。古代日本の別荘の建築様式については,黒木(くろき)(皮つきの丸太)を用いて素朴さを強調したものがあったことがわかるが,間取りなどの詳しい点は不明である。

 別荘がふつうの住宅と異なった独自の建築様式を発達させ,優れた建築作品を生みだすのは,ヨーロッパではルネサンスからバロックにかけての時代,日本では桃山時代から江戸時代前期にかけての時代である。ルネサンス時代のイタリアでは,はじめティボリなどに貴族の別荘(ビラvilla)が建てられ,そこでは多くの樹木と噴水をそなえた庭園と,庭園に面するロッジア(開廊)をそなえた主屋からなる構成が発達した。やがて建築家パラディオが故郷ビチェンツァの近くに建てた多くのビラにおいて主屋の各側面にロッジアを設けたり,あるいは主屋と翼屋をロッジアで結ぶ様式が完成された。この様式はそれ以降のヨーロッパやアメリカの別荘や住宅建築に大きな影響を及ぼした。バロック時代のヨーロッパ各国の君主は,多くの別荘としての小宮殿を建てたが,そのなかではフランス王ルイ14世が,小人数の家臣をともなって静寂な数日を送るために建てたマルリー・ル・ロアMarly-le-Roi宮殿(1679-86。大革命期に破壊)が有名であり,そこにはパラディオのビラの様式の影響が認められる。日本では後水尾上皇のための修学院離宮,八条宮智仁・智忠親王のための桂離宮がこの時代の別荘建築の代表的なものである。それらでは景勝地を選び,数寄屋造の主屋を中心にして,その周囲に池をもつ庭園をつくり,その庭園の所々に小規模な数寄屋造建築である茶屋を数棟配置し,花見,月見,雪見などの四季の遊楽や詩歌管弦などの芸術的な遊びが行われた。このように,美しい自然のなかで,当時の都市のなかでは困難であった,理想とする美的・知的生活を実現することが,ビラや桂離宮などの目的であった。

 江戸時代には将軍や諸大名も多くの別荘を建てたが,中期以降には富裕な商人のなかにも別荘を建てるものが現れてくる。井原西鶴の作品には,元禄時代の大坂の商人たちが,京都の東山などの景勝地に〈花見屋敷〉〈月見のための屋敷〉〈涼み屋敷〉などを建てたことが見える。この東山には明治維新後も多くの政治家や富豪の別荘が建てられ,そのなかには山県有朋が建てた別荘で現存する無鄰庵(1898)など,数寄屋造による建築や庭園の優れたものが多い。一方,関東地方では,日本に来住した外国人が日本の夏のむし暑さをのがれるための別荘を高原等に求めたことが大きな誘因となって,日本の政治家・富豪も別荘を建てるものが多くなった。その初期に別荘地として選ばれたのは,古くからの温泉保養地であった箱根,明治天皇の別荘のあった日光,交通の便のよい東海道線沿線の海岸地域であるが,1893年の信越線碓氷トンネル開通以後は,軽井沢が代表的な別荘地として発展した。

 現代では別荘の所有は中流階級にもひろく普及し,大規模な別荘地の開発が富士山・八ヶ岳などの山麓の高原や,伊豆半島などの温暖な土地で行われており,ゴルフ,ヨット,スキーなどのスポーツの施設をともなうものが多い。他の先進諸国においても中流階級用の別荘の普及が広く見られるが,それらには近代的な中・高層の集合住宅形式が用いられるとともに,一方ではその国の自然環境や生活様式に適した伝統的な形式も愛好されている。たとえばロシアのダーチャdachaは森林地区のなかに建てられた小規模別荘で,短いロシアの夏に水浴など自然に親しむのに適している。中部ヨーロッパ(とくにドイツ)の〈シュレーバーゲルテンSchrebergärten〉は,都市のすぐ外側につくられた小規模別荘の集合で,個々の区画は小さな庭と休息用の小屋からなり,一般に宿泊には使われない。この形式はドイツの医師シュレーバーDaniel Gottlieb Moritz Schreber(1808-61)が考案し,普及したもので,住居の周囲に庭を持たないこの地域の都市住民の生活に適しており,また古くは城壁外の草地で野遊びを楽しんだ伝統を受け継ぐものとも考えられる。
ウィラ →離宮
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「別荘」の意味・わかりやすい解説

別荘
べっそう

避暑・避寒などの目的で、都市の郊外や田舎(いなか)に建てる別宅。定形はないが、建築と自然の関係のうちに、その特色がみられる。古代ローマにおいて、ハドリアヌス帝がローマ郊外のチボリに建てた別荘は、広大な例として知られている。

 日本においても、別荘は、藤原氏の宇治の別邸(平等院)、足利(あしかが)氏の北山殿(金閣)、豊臣(とよとみ)氏の聚楽第(じゅらくだい)、八条宮(はちじょうのみや)家の桂(かつら)離宮と、古くは一部の特権階級だけのものであった。明治以降、鉄道、自動車などの交通機関の発達とともに、全国各地に別荘地が開かれたが、贅(ぜい)を尽くしたものが多く、ごく限られた人々にしか利用できなかった。しかし、今日では、共同管理の週末住宅、貸別荘、リゾートマンション、国民休暇村など施設の充実とともに、常住する住居以外の第二の住宅としての位置づけが広まり、別荘はしだいに大衆的なものになりつつある。使用目的も、避暑・避寒ばかりでなく、週末用、創作活動用、レジャー用など多様化している。

 別荘を建てる場合、その土地の気候、たとえば海岸であれば潮害・風害、積雪の多い地方では雪害などを十分考慮することがたいせつである。敷地は、周囲の自然を取り入れたいので、できるだけ広い面積とするのが望ましい。また、電気、上下水道、ガス、電話などの都市施設のほか、交通機関および周辺道路との関係や、隣接または周囲の土地の状態なども調べるべきである。

 一般住宅の生活行為とは次のような点で異なる。〔1〕通勤・通学などがない。〔2〕家族全員が行動をともにする時間が多い。〔3〕屋外での活動が多い。〔4〕趣味や遊びを主にした活動が多い。〔5〕家事労働が比較的少なく、家族や利用者が手伝うことが多い。〔6〕突然の来客が少ない。

 これらの点を考慮したうえで、部屋の構成を決めるなどのくふうが求められる。

[中村 仁]


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