20世紀日本人名事典 「南将之」の解説 南 将之ミナミ マサユキ 昭和・平成期のバレーボール選手,監督 元・全日本男子バレーボール監督。 生年昭和16(1941)年7月8日 没年平成12(2000)年4月7日 出生地福岡県福岡市 学歴〔年〕福岡大学附属大濠高卒 経歴昭和35年旭化成工業に入社、男子バレーボールで196センチの大型スパイカーとして活躍。オリンピックでは東京五輪で銅メダル、メキシコ五輪で銀メダル、ミュンヘン五輪で金メダル獲得に貢献。現役引退後は、全日本男子バレーボール・コーチを経て、平成元年監督に就任し、2年退任。一方、昭和61年から全日本ジュニア男子チーム監督、旭化成バレー部部長も務めた。長男・克幸も全日本入りし“父子鷹”と呼ばれた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「南将之」の解説 南将之 みなみ-まさゆき 1941-2000 昭和後期-平成時代のバレーボール選手,監督。昭和16年7月8日生まれ。35年旭化成に入社。196cmの大型スパイカーとして19歳で全日本入りし,39年東京五輪で銅メダル,43年メキシコ五輪で銀メダル。47年ミュンヘン五輪で金メダル。のち全日本男子チームの監督などをつとめた。平成12年4月7日死去。58歳。福岡県出身。福岡大付属大濠高卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by