日本歴史地名大系 「南徳益村」の解説 南徳益村みなみとくますむら 福岡県:山門郡大和町南徳益村[現在地名]大和町徳益野田(のだ)村の北、矢部(やべ)川支流塩塚(しおつか)川左岸にあり、北は北徳益村。三池(みいけ)街道が通る。天正一一年(一五八三)七月一〇日、柳川周辺を掌握していた龍造寺氏は成富信種からその子らへの所領譲与を認めており、菊千代女・乙菊丸・万法師丸とその母安住氏へと譲られた所領のなかに「筑後国徳益村之内作二町」が含まれている(「龍造寺政家判物写」成富家譜/大日本史料一一―四)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by