南矢名村(読み)みなみやなむら

日本歴史地名大系 「南矢名村」の解説

南矢名村
みなみやなむら

[現在地名]秦野市南矢名

西は弘法(こうぼう)山から権現(ごんげん)山を結ぶ稜線を境に曾屋(そや)村、南は下大槻(しもおおづき)村、北は北矢名村、東は真田(さなだ)村(現平塚市)に接する。南境を大磯道が西から東に通じ、中ほどからほぼ並行して伊勢原(いせばら)道が通り、東端真田村境で南北に通る小田原道に合する。小田原道は南端で大磯道に、また北矢名村を経て曾屋村に至る波多野(はだの)道も中ほどで合する。中央を宮田(みやた)川が東流する。天正一二年(一五八四)二月一〇日の北条家裁許朱印状写(県史三)に「矢那郷」とある。寛文年間(一六六一―七三)の相模国大住淘綾愛甲三郡高帳(県史六)には「南矢名」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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