日本歴史地名大系 「南福升村」の解説 南福升村みなみふくますむら 山形県:飽海郡遊佐町南福升村[現在地名]遊佐町増穂(ますほ)鵜沼(うぬま)村の南西にあり、北は八面(やつめ)川を境に北福升村。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では南福升村杉宮分高一〇四石余・大勧進分高九三石余。寛永元年庄内高辻帳には福升杉崎村とあり高二一九石余。享和三年(一八〇三)には家数一二・人数六五。庄内要覧によれば免五ツ七分七厘、家数一〇。承応三年(一六五四)下野沢(しものざわ)村菅原次右衛門と上楸島(かみぐみじま)村石川作右衛門は仙北(せんぼく)郡(現秋田県)に欠落した農民一七人を連戻し、新田を開かせ福升新田とした(「先祖書」飽海郡誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by