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庄内藩 しょうないはん

藩名・旧国名がわかる事典の解説

しょうないはん【庄内藩】

江戸時代出羽(でわ)国田川郡鶴岡(つるおか)(現、山形県 鶴岡)に藩庁をおいた譜代(ふだい)藩。藩校は致道館(ちどうかん)。現在の山形県の大半を領有していた最上(もがみ)氏が1622年(元和(げんな)8)に改易(かいえき)され、信濃(しなの)国 松代(まつしろ)藩の藩主酒井忠勝(さかいただかつ)が13万8000石余で入部、庄内藩が成立した。同じく最上氏改易で山形に入った鳥居忠政(とりいただまさ)とともに、奥羽の外様(とざま)藩を鎮める役割を担い、明治維新まで酒井氏12代が続いた。初期のお家騒動が収まると、米どころの庄内平野をもち、また酒田北前船(きたまえぶね)の寄港地として栄え、庄内藩の内高(実際の石高)は20万石ともいわれた。1840年(天保(てんぽう)11)に、武蔵(むさし)国川越(かわごえ)藩主を庄内に、庄内藩主を越後(えちご)国長岡へ、長岡藩主を川越に転封(てんぽう)(国替(くにがえ))するという三方領地替の幕命が発せられたが、農民が激しく抵抗、幕命は撤回された。幕末には新徴組(しんちょうぐみ)を委託されて江戸市中警備にあたり、戊辰(ぼしん)戦争では奥羽越(おううえつ)列藩同盟の一員として新政府軍と戦ったが敗北。1869年(明治2)年に朝命で大泉藩と改称、71年の廃藩置県で大泉県となったのち、酒田県、鶴岡県を経て76年山形県に編入された。なお、藤沢周平の小説の舞台となっている架空の「海坂(うなさか)藩」は、庄内藩がモデルといわれる。◇鶴岡藩ともいう。

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世界大百科事典 第2版の解説

しょうないはん【庄内藩】

出羽国櫛引郡(1664年以後は田川郡)鶴岡(山形県)に藩庁を置く譜代藩。1622年(元和8)最上氏の改易後,信州松代藩主酒井忠勝が13万8000石で入部して成立。鶴岡,亀崎の2城のうち鶴岡城を居城として拡張,城下町の町割りを実施した。23年の総検地で5万3000石の出目を出し,これに対し遊佐(ゆさ)郡の農民は逃散して抵抗,34年(寛永11)遊佐郷大肝煎高橋太郎左衛門の上訴一件に発展した。46年(正保3)忠勝の弟忠重が兄の世子忠当(ただまさ)を廃して自子を立てようと陰謀し,忠当擁護派との間に御家騒動が起きた(長門守一件)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

庄内藩
しょうないはん

鶴岡藩」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

庄内藩
しょうないはん

出羽国(でわのくに)庄内地方の大部分を領有した藩。鶴岡(つるおか)藩ともいう。譜代(ふだい)大名。1622年(元和8)、山形藩最上(もがみ)氏の改易により、信州松代(まつしろ)の酒井忠勝(ただかつ)が14万石で庄内に入部した。山形の鳥居忠政とともに奥羽の外様(とざま)大名の鎮めとして配置されたといわれ、以後鶴岡(山形県鶴岡市)を城下に明治維新まで定着した。
 忠勝以後の藩主は、忠当(ただまさ)、忠義(ただよし)、忠真(ただざね)、忠寄(ただより)、忠温(ただあつ)、忠徳(ただのり)、忠器(ただかた)、忠発(ただあき)、忠寛(ただとも)、忠篤(ただすみ)、忠宝(ただみち)と続き維新を迎える。
 忠勝の領地は、1647年(正保4)松山2万石(三男忠恒(ただつね))、大山1万石(七男忠解(ただとき))を分知し、1682年(天和2)には余目(あまるめ)5000石を分知したが、近世初頭における北楯大堰(きただておおぜき)その他の用水堰の開削と水田開発によって、庄内藩の実高は19万石余といわれていた。江戸中期の1767年(明和4)に始まる藩政改革では、初め酒田の豪商本間光丘(ほんまみつおか)(四郎三郎)を登用して借財整理にあたったが、1795年(寛政7)以後の改革では、中老竹内八郎右衛門(はちろうえもん)、郡代白井矢大夫(やだゆう)を中心に、商業資本家を排除し、貸付米、貸付金の切り捨てによる農村復興策を行い、藩校致道館(ちどうかん)を創設した。しかし質地地主の発展と他方に農村の困窮者が激増する状態が進行し、天保(てんぽう)期(1830~44)には困窮与内米(よないまい)の設定などの農政策が図られた。また1840年(天保11)、武蔵(むさし)川越(かわごえ)藩を庄内に、庄内藩主を越後(えちご)長岡へ転封する幕府の三方領地替は、農民・大地主にわたる全領民の阻止運動により撤回されたが、幕末の庄内藩は、江戸市中の警備、新徴組の支配を委任されるなど、佐幕の雄藩として活躍することになった。1869年(明治2)大泉藩と改称。大泉県、酒田県、鶴岡県を経て76年山形県に入る。[横山昭男]

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世界大百科事典内の庄内藩の言及

【松平信綱】より

川越藩政の確立にも大きく寄与し,38年川越大火後の城郭修築拡張,城下町の町割と10ヵ町4門前制整備,喜多院・仙波東照宮再建,新河岸(しんがし)舟運開設,荒川・入間川治水,48年慶安総検地の実施,野火止用水開削と武蔵野開発,勧農政策などに努めた。また出羽庄内藩の幼主酒井忠義の外祖父として後見,藩内紛争を処理,その指示により農政策を建てた結果,同藩の体制は急速に整備された。【大野 瑞男】。…

※「庄内藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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