日本歴史地名大系 「南荒田野村」の解説 南荒田野村みなみあらたのむら 徳島県:阿南市南荒田野村[現在地名]阿南市新野町(あらたのちよう)廿枝(はたえだ)村の西に位置し、桑野(くわの)川の上流域に立地する。村内には里として元信(もとのぶ)・定信(さだのぶ)(貞信)・木戸(きど)・宮窪(みやのくぼ)・馬埒・入田(にゆうた)・室窪(むろのくぼ)・廿歩(にじゆうぶ)・大城寺・博石・片山(かたやま)・春山・広重(ひろしげ)・生谷(おいだに)・月夜(つきよ)・貞持(さだもち)・平河内(ひらがわうち)・末持・常止があり、ほかに上山など四四谷がある(阿波志)。中世には阿良多野(あらたの)庄とよばれた。天正一三年(一五八五)仁宇谷一揆が荒田野口に押しかけたが、森安右衛門らによって生捕りにされた(「阿淡年表秘録」など)。安右衛門兄弟はその功により蜂須賀家政から賞されている(九月二日「蜂須賀家政感状」御大典記念民政資料)。慶長二年(一五九七)の分限帳に那東(なとう)郡荒田野とみえ、この頃は南北に分れていなかったとみられる。荒田野は山田彦八郎知行分一千九一石余・岡田甚左衛門知行分一〇〇石・蜂須賀与三右衛門知行分一〇〇石・野間忠助知行分一五〇石・真殿伝内知行分五〇石・山崎茂左衛門知行分三〇〇石・柘植平左衛門知行分一〇六石余・谷源太郎知行分五〇石・立木金左衛門知行分一〇〇石・井関喜左衛門知行分一〇六石余・森万介知行分一〇〇石・井村小兵衛知行分三四石・梶浦三郎右衛門知行分五〇石・益田太郎三郎知行分三〇〇石・稲田又八郎知行分一三二石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by