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蜂須賀家政 はちすかいえまさ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

蜂須賀家政
はちすかいえまさ

[生]永禄1(1558).尾張
[没]寛永15(1638).12.30. 徳島
安土桃山~江戸時代初期の武将。正勝の子。通称,彦右衛門。阿波守。蓬庵と号した。豊臣秀吉に仕え,元亀1 (1570) 年姉川の戦いに初陣。天正8 (80) 年播磨長水山城の攻略に軍功があった。

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デジタル大辞泉の解説

はちすか‐いえまさ〔‐いへまさ〕【蜂須賀家政】

[1558~1638]安土桃山時代・江戸初期の武将。尾張の人。父正勝とともに織田信長豊臣秀吉に仕え、阿波国を与えられて徳島城主となった。関ヶ原の戦いには西軍に加えられたが応ぜず、子の至鎮(よししげ)が徳川方に属した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

蜂須賀家政 はちすか-いえまさ

1558-1639* 織豊-江戸時代前期の武将。
永禄(えいろく)元年生まれ。蜂須賀正勝の長男。天正(てんしょう)13年(1585)豊臣秀吉の四国攻めで軍功をたて阿波(あわ)徳島17万6000石を領した。関ケ原の戦いでは西軍に属したが出陣せず,長男至鎮(よししげ)を東軍につかせ,本領をたもった。徳島藩藩祖。寛永15年12月30日死去。81歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。幼名は小六。号は蓬庵(ほうあん)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

蜂須賀家政

没年:寛永15.12.30(1639.2.2)
生年:永禄1(1558)
安土桃山・江戸前期の武将,阿波(徳島)藩祖。蜂須賀小六正勝の子。尾張国海東郡蜂須賀村(愛知県美和町)出身。幼名は小六,通称を彦右衛門という。はじめ織田信長,次いで天正3(1575)年から豊臣秀吉に仕え,秀吉馬廻りの黄母衣衆として活躍した。同12年,紀伊根来・雑賀一揆攻めの功により播磨佐用郡で3000石を与えられ,翌年,父正勝の四国攻めの功によって,父と共に阿波国17万6000石を与えられ,徳島城に入っている。同14年,従五位下・阿波守に叙任。文禄の役,慶長の役に参陣し,慶長の役のときには蔚山城に浅野幸長を救援した。慶長5(1600)年の関ケ原の戦では西軍に属し,大坂久太郎町橋を警固し,北国口を防御する任務を与えられていたが,自らは病気と称して出陣せず,家老青木方斎を出陣させた。子至鎮は東軍についており,東軍の勝利がはっきりした時点で青木方斎を処分し,自らは剃髪し蓬庵と号し,家督を至鎮に譲った。その後,至鎮が先に没してしまい,その跡を継いだ幼主忠英の後見役を幕府から命ぜられた。

(小和田哲男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

はちすかいえまさ【蜂須賀家政】

1558‐1638(永禄1‐寛永15)
近世初期の大名。正勝の子。蓬庵と号する。1575年(天正3)から羽柴(豊臣)秀吉に属し,82年毛利征伐のとき黄母衣衆となり,83年賤ヶ岳の戦,84年根来・雑賀一揆に出陣して播磨佐用郡で3000石を与えられ,85年四国征伐の功で阿波で17万6000石を領して徳島城主となる。86年従五位下阿波守に叙任。文禄・慶長の役に出陣した。関ヶ原の戦には西軍に属して大坂久太郎町橋を警固したが,病気と称して代理を出して自身は出陣せず,嫡子至鎮が東軍に属したので戦後も無事であった。

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大辞林 第三版の解説

はちすかいえまさ【蜂須賀家政】

1558~1638) 安土桃山・江戸初期の武将。徳島藩祖。正勝(小六)の子。豊臣秀吉に仕え、四国攻略後阿波一七万石余を領した。関ヶ原の戦いでは初め西軍に加えられたが参戦せず、本領を安堵。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

蜂須賀家政
はちすかいえまさ
(1558―1638)

安土(あづち)桃山時代~江戸初期の武将。正勝の嫡子で尾張(おわり)国海東郡蜂須賀村(愛知県あま市)に生まれる。父に従って13歳のとき姉川(あねがわ)の戦いに初陣し、1585年(天正13)の四国征伐には父とともに戦功が認められ、征伐後の6月に阿波(あわ)に封じられ18万石を領した。太閤(たいこう)検地をはじめ近世化政策を推進し、それに反対する祖谷山(いややま)など山間土豪一揆(いっき)を平定し、領国経営の基礎固めに成果をあげたが、関ヶ原の戦いでは合戦を前に阿波を豊臣(とよとみ)家に返上し、剃髪(ていはつ)して蓬庵(ほうあん)と称し高野山(こうやさん)に登った。合戦後に阿波が東軍にくみした嫡子至鎮(よししげ)に与えられると、その後見役となり、2代忠英(ただてる)のときまで実質的に徳島藩政を指導した。[三好昭一郎]

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世界大百科事典内の蜂須賀家政の言及

【関ヶ原の戦】より

… 99年正月に入ると,五大老,五奉行内部の対立がしだいに表面化してきた。正月19日,家康を除く大老と五奉行は,家康が伊達政宗,福島正則,蜂須賀家政らと婚姻を予約したことを,秀吉の遺言違反として難詰した。この事件は家康と4大老,五奉行が遺言遵守の誓書を交換して収まったかに見えたが,閏3月3日利家の死をきっかけに細川忠興,蜂須賀家政,福島正則,藤堂高虎,黒田長政,加藤清正,浅野幸長らの7大名が三成を襲い,三成は大坂を脱出して伏見に逃れ,家康の軍勢に守られて居城の佐和山に帰るという事件が起きた。…

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