卯辰山(読み)うたつやま

日本歴史地名大系 「卯辰山」の解説

卯辰山
うたつやま

金沢市街の東方に位置し・標高一四一・二メートル。むかい山と通称されるほか、かつては東山・臥竜山・夢香むこう山・茶臼ちやうす山などとも称された(「金沢古蹟志」など)。また古くは宇多須山とも記した。山中には観音山・愛宕山・摩利支天山・毘沙門山・油木あぶらき山・春日かすが山などの小山がある(加能郷土辞彙)。応安二年(一三六九)九月一二日、桃井直和が「宇多須山」に陣取っている(同年一二月日「得江季員軍忠状」得江文書)

西麓の卯辰村領では江戸時代前期から相対請地化がすすみ、早くから卯辰町をはじめ卯辰を冠する町が多く立てられ、一帯は卯辰・卯辰山の広域呼称をもってよばれた。また、日蓮宗をはじめとする諸宗諸派寺院が密集、その多くは藩の政策によって寛文年間(一六六一―七三)当山西麓に移された。元禄期(一六八八―一七〇四)には山崩れが続き、まず元禄二年七月観音山で長さ一〇〇間・幅六〇間ほどが浅野川へ崩れ込み、三人が死亡(「政隣記」加越能文庫)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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