日本歴史地名大系 「卯辰山」の解説
卯辰山
うたつやま
金沢市街の東方に位置し・標高一四一・二メートル。
西麓の卯辰村領では江戸時代前期から相対請地化がすすみ、早くから卯辰町をはじめ卯辰を冠する町が多く立てられ、一帯は卯辰・卯辰山の広域呼称をもってよばれた。また、日蓮宗をはじめとする諸宗諸派寺院が密集、その多くは藩の政策によって寛文年間(一六六一―七三)当山西麓に移された。元禄期(一六八八―一七〇四)には山崩れが続き、まず元禄二年七月観音山で長さ一〇〇間・幅六〇間ほどが浅野川へ崩れ込み、三人が死亡(「政隣記」加越能文庫)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報