日本歴史地名大系 「印達北条・印達南条」の解説 印達北条・印達南条いたちほうじよう・いたちなんじよう 兵庫県:姫路市旧飾磨郡地区印達北条・印達南条「和名抄」にみえる餝磨(しかま)郡印達郷を継承したとみられる中世の地名。市(いち)川下流右岸、現姫路市八丈岩(はちじようがん)山の南麓付近に比定される。建長元年(一二四九)七月日の播磨国司庁宣案(正明寺文書)によると、「印達北条」の二段が称名(しようみよう)寺(正明寺)に寄進されており、同じ日付の播磨国留守所符案(同文書)からは二段が長日灯油田であったことが知られる。応永二一年(一四一四)一二月八日、赤松義則は「印達北条天神西二段」の田を広峯(ひろみね)社に寄進している(「赤松義則田地寄進状」神戸大学国際教養系図書館蔵広峯神社文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by