日本歴史地名大系 「双柳村」の解説 双柳村なみやなぎむら 埼玉県:飯能市双柳村[現在地名]飯能市双柳・新町(しんまち)・東町(あずまちよう)・栄町(さかえちよう)・緑町(みどりちよう)・新光(しんこう)入間(いるま)川左岸の台地上に位置し、東は芦苅場(あしかりば)村、野田(のだ)村(現入間市)、西は中山(なかやま)村・真能寺(しんのうじ)村、南は岩沢(いわさわ)村、北は青木(あおき)村・下加治(しもかじ)村。村内を秩父往還(江戸秩父道)と多摩八王子への道が通り、字六道(ろくどう)で交差する。また村内中央を南北に走る大山(おおやま)道に沿って南から下宿(しもじゆく)・中宿・上宿の集落が形成されている。加治領に属した(風土記稿)。田園簿に村名がみえ高一二〇石余(畑方のみ)、幕府領。寛文八年(一六六八)検地があり(風土記稿)、元禄郷帳では高四四五石余。国立史料館本元禄郷帳では幕府領、ほかに観音堂領がある。延享三年―天保三年(一七四六―一八三二)間は三卿の一の田安領(「田安領知村高記」葛生家文書など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by